2017.02.15

木場弘子が見た! ヤンマーの真の姿とは  Vol.3 山岡健人社長を直撃

木場:この会社で働いて良かったと思ってもらえることが重要ですね
山岡:「100年企業」でも、新しい価値を創造し続けないと存在価値は無くなります

フリーキャスター木場弘子氏がヤンマーの真の姿を探る3回シリーズ。最終回は、いよいよ山岡健人社長が登場する。創業100周年を機に「ヤン坊マー坊」から脱却した狙い、新しいブランドステートメント「A SUSTAINABLE FUTURE(ASF)」に込めた思い、次の100年を見据え目指す組織像など――。山岡社長に木場氏が直撃した。

※取材者の所属会社・部門・肩書等は取材当時のものです。


バブル崩壊を乗り越え、社員の底力を実感

木場:これまでの2回の取材を通じ、ヤンマーさんのイメージが大きく変わってきました。今年から、新しいブランドステートメント「A SUSTAINABLE FUTURE(ASF)」を掲げていらっしゃいますが、100年の間に培われてきたブランドイメージを刷新するのは、大きな決断だったのではないでしょうか。

山岡:皆さんから愛されていたキャラクター「ヤン坊マー坊」は、私と同じ1959年生まれ。私自身もヤンマーという企業も、彼らと一緒に成長してきたと言えると思います。ただ、その間に事業の多角化、グローバル化が進み、ヤンマーが持っているコアバリューと「ヤン坊マー坊」のイメージがかけ離れてしまった。そこで100周年を機に思い切って「ヤン坊マー坊」からの脱却を決めたのです。

振り返ってみると、私が社長に就任した1998年は、バブル経済が崩壊し景気が非常に低迷していた時期です。苦境の中で会社を立て直すために、さまざまな改革を行いました。そんな厳しい局面でも縮小傾向に向かわず、バブル崩壊を乗り越えられたのは、社員の皆さんの底力があったからだと感じています。だから100周年を迎えるときも、自信を持って次の100年を見据えることができました。

木場:ASFには、自社のテクノロジーを活用しエネルギー問題や食料問題など地球規模での課題を解決したいという決意が感じられます。経営者としてどのような思いを込めましたか。

山岡:創業精神の一つ「燃料報国」を現代社会に照らし合わせて考え、「自然も人間も豊かである、つまり少ないエネルギーで豊かな社会を実現する」というメッセージだと読み解きました。そこから我々が目指すASFには「省エネルギーな暮らしを実現する社会」「安心して仕事・生活ができる社会」「食の恵みを安心して享受できる社会」「ワクワクできる心豊かな体験に満ちた社会」という4つの社会の実現に貢献したいとの思いを込めました。

息づく創業精神「美しき世界は感謝の心から」

木場:ヤンマー100年史の「発刊にあたって」で、兵庫県篠山の村に御社の発動機とともに動力ポンプが初めて導入されたときのエピソードが紹介されています。田に勢いよく水が流れ出す様子を、正装した村人たちが見守る写真が掲載されていて感動しました。製品を売って終わりではなく、製品を通じて地域の人、働いている人、みんなの生活を豊かにする――。創業当時から、ASFの「安心して仕事・生活ができる」ことや新しい豊かさによる「ワクワク」を提供していたのですね。

山岡:私も、「ワクワク」という言葉は、ASFの決め手だと思っています。100周年記念事業として、創業者である祖父の生誕の地・滋賀県の長浜に創設した「ヤンマーミュージアム」は、100年の感謝を示すとともに、「ワクワク」を感じてもらえるよう体験型施設にしています。2016年度のグッドデザイン賞はじめさまざまな賞を頂きました。

木場:事業領域以外に、人材育成や文化醸成の面でもさまざまな活動を展開しているのは、初代・孫吉氏の理念に基づくものなのですね。

山岡:もともと祖父は、事業で得た収益を社会に還元したいとの思いから、長浜で高校や大学に進学できない子どもたちに経済的援助をしていました。それを組織化したのが1950年設立の「山岡育英会」です。既に5400人以上が巣立ちました。最近は、グローバルにも目を向けタイでサッカーと勉学の両立を目指す学生を支援するなど、国内外でさまざまな人材育成事業を行っています。ASFの実現は、祖父が晩年、座右の銘にしていた「美しき世界は感謝の心から」にも通じると思っています。

一人ひとりが自主的に動く「サッカー型」組織を目指す

木場:Jリーグ「セレッソ大阪」の前身であるヤンマーディーゼルサッカー部の創設は1957年。早くから企業スポーツとしてサッカーに注目したのはなぜでしょう。

社内サッカー大会「ヤンマー・グローバルカップ」には
国内外のグループ企業が参加する

山岡:ブラジルに現地法人を設立した当初、運営が上手くいかなかったのですが、皆でサッカーを始めたらコミュニケーションがスムーズになったそうです。そこで、現地の人たちに日本に来てもらい、尼崎の工場で研修を受ける代わりにサッカーを教えてもらおうとつくったのがサッカーチームの始まりです。今は、かたちを変え「ヤンマー・グローバルカップ」という社内サッカー大会を開催しています。国内外からグループ企業のチームが参加する大会で、次回は、昨年M&Aによりヤンマーグループに加わったスペインのヒモインサ社のチームも出場して、社内のコミュニケーションをグローバルに活性化できればと考えています。言葉や国籍、宗教、文化の違いを超え皆で共通のゴールに向かって進むのは、事業活動と同じだと思っています。

私も毎週、仲間たちとサッカーを楽しんでいますが、本当に優れたサッカーチームは一人ひとりの選手が自分で判断してベストなプレーをします。会社もそうありたいですね。従業員それぞれが自主的に考え動き、今日はいい仕事をしたなと思ってもらえるような「サッカー型」組織を目指します。

木場:サッカーは世界中で楽しまれているスポーツですから、グローバルな事業展開にも役立つことでしょうね。ほかにも世界的スポーツでは、海のF1と呼ばれるヨットレースAMERICA’S CUPで、セーリングチームORACLE TEAM USAのオフィシャルテクニカルパートナーを務めていらっしゃいます。2013年の前回大会で優勝した時には「レース艇を支える伴走艇にヤンマーエンジンが搭載されていたからこそ」とチームから賞賛されましたね。

海のF1「AMERICA'S CUP」では、世界NO.1の
「ORACLE TEAM USA」をテクニカルパートナーとして支える

山岡:世界ナンバーワンのセーリングチームに認められたことは本当に光栄です。ORACLE TEAM USAの伴走艇に、ヤンマー製8LV型ディーゼルエンジンとZTドライブシステムを提供することで、常にレースを支えるとともにチームパフォーマンス向上のサポートをしています。過酷なコンディションでも発揮されるスピード、パワー、耐久性は日本の漁師さんたちに鍛えられたお陰なんですよ。

今年は2016年11月18日から20日まで、福岡市でアジア初のAMERICA’S CUPが開催されました。AMERICA’S CUPを通じて、ヤンマーのエンジン技術の高さはもちろん、ワクワクする社会の実現を目指す企業イメージの浸透につながればいいですね。

ビジネスチャンスを生かし、勝ち切る強さを身に着ける

木場:御社のマリン事業の強さは日本よりむしろ欧米で有名ですね。グローバルに統一したイメージをつくる上でも、新しいブランドステートメントへの期待は大きいのではないでしょうか。社内外の反響はいかがですか。

山岡:社員一人ひとりが意識を変え行動を変えるために、社内への浸透は非常に重要ですが、状況まだ道半ばでより力を入れる必要があると思っています。でも、取引先からは「すごく変わった」とよく言われ良い手ごたえを感じています。顧客満足度(CS)と従業員満足度(ES)は密接に関わりますから、社外の反響が高まるにつれて社内の反響も徐々に高まっていくと期待しています。

木場:働いている皆さんに、この会社にいて良かったと思ってもらえることが重要ですね。従業員はグループ全体で約1万8000人。ヤンマーらしさをどのように捉えていますか。

山岡:いい意味でも悪い意味でも「人がいい」。その人の良さからか、2位に甘んじている事業領域が多いのです。この点は直したい。ヤンマーに機会があるビジネス領域を精査したところ、可能性のある領域が300分野にものぼることがわかりました。まずは優先順位をおいた26分野に注力しながら、勝ち切る強さを身に着けることが大事だと考えています。

木場:数字の1位というより、お客さまのニーズに応えつつ「気がつけば1位」が理想でしょうか。

山岡:そうですね。お客さまはもちろん従業員にとっても、心をワクワクさせる会社にしたい。それを実現していく中で1位になれればいいですね。ヤンマーの事業領域の多くは生命の根幹を担う分野です。みんなが普段目にしないところで役に立っている、そういう会社でありたいと思っています。そのためには、常に先進的・未来志向で新しい価値を創造し続ける必要があると思います。そうでなければ企業の存在価値は無くなってしまいます。「100年企業」と言っても単なる大阪の老舗企業のようなイメージを持たれるのは絶対避けたい。ASFは、100年先も世の中の役に立つ存在であり続けるためのステートメント。必ずやり遂げます。

木場:おじいさまである初代の精神を引き継ぎ、100年の間に培われたヤンマーさんらしさを失わず、目指すべき4つの社会の実現に期待しております。楽しいお時間、ありがとうございました。

 


インタビューを終えて

「ヤン坊マー坊」から脱却し、100年先を見据え新たな道を歩み始めたヤンマーさん。でも実は、社内では既に変革が進んでいて、これまで培った延長線上にある新しいブランドステートメントは社員の皆さんには当たり前のことだったのかもしれません。山岡社長はとても遊び心のある方で、「ワクワク」を自ら実践していらっしゃるようにお見受けしました。これからは、「ヤンマーの真の姿」を外に向かってもっともっとアピールしていただきたいと思いました。

PROFILE

山岡健人氏 ヤンマー株式会社
代表取締役 会長 兼 社長
1982年ヤンマーディーゼル㈱入社。GHP事業部長、カスタマーサポート本部長など歴任。90年取締役、96年常務、98年代表取締役社長、2012年から現職。

木場弘子氏 キャスター
1987年 TBS入社。同局初の女性スポーツキャスターとして『筑紫哲也ニュース23』などで活躍。1992年与田剛氏(現・楽天投手コーチ)との結婚を機にフリーランスに。経済産業省や国土交通省、環境省など8つの省庁で審議会に参加。エネルギー施設への取材多数。各界トップへのインタビューは300人を超える。千葉大学客員教授。

日本経済新聞 電子版広告特集
掲載期間:2016年7月25日~2016年12月31日

関連記事

木場弘子が見た! ヤンマーの真の姿とは  Vol.1 技術統括役員 苅田広に迫る

フリーキャスターの木場弘子氏が、ヤンマーが培ってきた技術や100年先を見据えたビジョンに迫ります。

木場弘子が見た! ヤンマーの真の姿とは  Vol.2 中央研究所を探訪

最先端技術に溢れる中央研究所を訪ねた木場氏が、ヤンマーのモノづくりへの想いを解き明かします。