丸山剛広(マルヤマ タケヒロ)
ヤンマーホールディングス株式会社 技術本部 中央研究所 基盤技術研究センター 新パワーソースグループ。
2016年入社。前職より携わっていた燃料電池システム開発の経験を活かし、2018年より舶用水素燃料電池システム開発のプロジェクトリーダーを務める。
2021.10.29
近年、地球温暖化問題が深刻化し、温室効果ガスを発生しない脱炭素社会への移行に向けた動きが世界中で急激に加速しています。既に日本を含めた123カ国・1地域が、2050年までに温室効果ガス(GHG)の排出量を実質ゼロにする目標を宣言しており、この目標を達成する為に、石油などの化石燃料の消費量を削減する政策が世界中で日々発表されています。例えば先日、EUの欧州委員会は、2035年にガソリンエンジンまたはディーゼルエンジンを搭載した新車の販売を禁止する方針を打ち出しました。その一方で、化石燃料に変わる“クリーンなエネルギー源”の一つとして、「水素」が世界的に注目を浴びています。
ヤンマーでは、脱炭素社会への移行に向けて、水素を使って電気を作る燃料電池技術の開発を進めています。
本記事では、船舶向けの水素燃料電池システム開発およびその実証試験について紹介。その舞台裏には、ヤンマーグループだけでなく、国や自治体、関連の業界を代表する企業を巻き込んだ協業のドラマがありました。
丸山剛広(マルヤマ タケヒロ)
ヤンマーホールディングス株式会社 技術本部 中央研究所 基盤技術研究センター 新パワーソースグループ。
2016年入社。前職より携わっていた燃料電池システム開発の経験を活かし、2018年より舶用水素燃料電池システム開発のプロジェクトリーダーを務める。
平岩琢也(ヒライワ タクヤ)
ヤンマーパワーテクノロジー株式会社 特機事業部 システムエンジニアリング部 。
2012年入社。国土交通省委託事業のプロジェクトなどに参画。本プロジェクトにおいては、舶用水素燃料電池システムの開発に欠かせないルール対応などを主に担当している。
木村行彦(キムラ ユキヒコ)
ヤンマーマリン インターナショナルアジア株式会社 開発部 ソリューション開発部 海洋グループ。
2013年入社。プレジャーボートの開発や試験などに従事した後、商品開発や企画を経て、先行開発案件を担当。本プロジェクトにおいては、実証試験艇の船体設計を担当している。
※取材者の所属会社・部門・肩書等は取材当時のものです。
海事分野においては、2018 年にIMO がGHG 削減戦略を採択し、今世紀中のなるべく早期に国際海運からのGHG排出ゼロを目指すと共に、2030年までに単位輸送当たりの排出量を40%以上改善、2050 年までにGHG 総排出量を50%以上削減(いずれも2008 年比)する目標が掲げられています。最近では、これらの目標達成時期の前倒しが検討されています。また、欧州や米国では都市部や環境保護地域、大規模港湾等におけるNOx 排出削減に向けた取り組みも加速しています。
ヤンマーでは、これまで国土交通省からの委託事業や環境省の補助事業への参画等を通じて、舶用燃料電池システムに関する技術開発および燃料電池船の実証試験や船舶への水素供給方法の検討等を行ってきました。
丸山:ヤンマーは、2015年から2017年にかけて国土交通省より「水素燃料電池船の安全ガイドライン策定のための調査検討事業」を委託され、その後、「舶用水素燃料電池を拡げるためのロードマップ策定」を環境省より委託されました。これらの経験を活用し、2019年頃から、トヨタ自動車製の燃料電池自動車「MIRAI」の部材を活用して、舶用水素燃料電池システムの開発および試験艇による実証試験プロジェクトを開始しました。
次世代エネルギーとして、水素は大きな可能性を有しています。
●地球上にたくさん存在している。
●再生エネルギー(太陽光・風力・地熱など)の電力から水を分解して作ることができる。
●利用時(発電)において、CO2を出さない。
―― ヤンマーが舶用水素燃料電池システムを開発する理由についてお聞かせください。
丸山:いずれは自動車業界のように、ヤンマーの事業領域にも脱炭素化の規制が導入されることが想定されます。その時に、ヤンマーの事業領域における従来のお客様が事業を継続することができなくなることや、環境問題に貢献していない事業として批判されるような事は絶対にあってはなりません。それらを踏まえたうえで、持続可能な社会の実現に向けた脱炭素ソリューションとして、水素燃料電池システムを提供する事は、ヤンマーの責務と考えています。
平岩:海外の業界他社が脱炭素社会の実現に向けた取り組みを進めるなかで、ヤンマーとしてだけではなく、日本として、新しい市場に参入することが、事業として大きく成長するチャンスだと思いました。また、ヤンマーはこれまで、内燃機関を核としたビジネスモデルを主に展開してきましたが、そこに依存しないパワートレインメーカーへのCHANGE&CHALLENGEの姿勢を示すことができると思います。
木村:新しい技術である燃料電池システムを、実際の船体に搭載することで、将来の商品開発における設計・建造時の課題を事前に把握できると考えました。ヤンマーの経験値・技術力向上のためにも先行技術構築に取り組みました。
――パワートレインの電動化における舶用水素燃料電池のメリットは
丸山:脱炭素化においては、パワートレインの電動化が重要です。現在のEV(電気自動車)には、リチウムイオン電池などの蓄電池が使用されていますが、長時間連続で大きな出力が必要とされる船舶等の用途においては、エネルギー密度や充電時間に課題があります。一方、水素はエネルギー密度が蓄電池と比べて桁違いに高く、また充填に掛かる時間も短いというメリットがあります。水素燃料電池は、特にこれらのメリットが重要となる用途での活用が期待されています。また、電気化学的に発電する為、従来エンジンのような騒音や振動、排ガス臭がありません。これらは新たな顧客価値の創出に繋げられると考えています。
日本政府が発表している水素基本戦略にも明記されている、舶用水素燃料電池システムの実用化に向けては、(1)安全ガイドラインの策定、(2)利用拡大におけるロードマップの策定、(3)そのロードマップに基づいた技術開発・実証が必要と言われています。ヤンマーは国土交通省や環境省の事業への参画も含めて、これらの活動に取り組んできました。これは船舶業界にとって新たな取り組みであり、技術面や規制面で、さまざまな壁と直面しました。大きな壁にぶつかる度、ヤンマーグループ内はもちろん、水素燃料電池の実用化で先行する自動車業界や水素インフラ業界、そして、国や行政、他企業を巻き込んで、一つ一つ壁を乗り越えていきました。
――安全ガイドラインの策定は、どのように進められましたか?
平岩:船を建造する際、国や関係機関が決めた「規則」「ガイドライン」に従う必要があります。水素社会が広まっていくと考えた場合、舶用水素燃料電池システムを搭載した船が普及するためには「ガイドライン」は不可欠です。国土交通省の「最初は小型船舶から水素燃料電池船が広まっていくだろう」という予測のもと、2015年、ヤンマーはコンソーシアムとして「安全ガイドライン」の骨子の策定を国土交通省から受託しました。「水素燃料電池船の安全ガイドライン」という点では、世界初の試みだと思います。
とにかく前例がないので、全てが手探りでした。例えば、「水素燃料電池が海水に浸かったらどうなる?」「船の動揺・傾斜の影響は?」「水素が漏れた場合は?」など、調査や要素試験から行う必要がありました。そういった検討結果に基づいて、安全ガイドラインの骨子の内容を国土交通省と一つひとつ詰めていきました。
安全ガイドラインが策定された後に、前述のロードマップの策定活動や世の中の脱炭素社会への風潮の高まりを踏まえ、ヤンマーは本格的に舶用水素燃料電池システムの開発を開始しました。安全ガイドラインは水素燃料電池システム単体だけでなく、船体側の搭載要件についても定義しており、それらを考慮して開発する為に、舶用水素燃料電池システムの実証試験を行う為の試験艇も建造することにしました。しかし、実証試験艇の建造は、プロジェクトリーダーである丸山の所属する技術本部、安全ガイドラインを担当した平岩が所属するヤンマーパワーテクノロジーだけでは、到底不可能でした。
――実証試験艇の建造には、多くの人々が関わったそうですね
丸山: いざ実証試験艇を建造するとなると、燃料電池システムだけでなくリチウムイオンバッテリやモーター等を含めた電動パワートレインの開発および船体の新規設計が必要となります。また実証試験を実施する際には、船体に高圧水素を充填する装置も必要となります。これらは当初のプロジェクトメンバーだけでは対応できなかったため、社内外問わず、多くの方々に何度も相談して、仲間を募っていきました。最初は協力に躊躇されていた方もいらっしゃいましたが、この実証試験を実施する意義やその先のビジョンを何度もお話しして、最終的には、ヤンマーグループ内の事業会社の垣根を超えた多数の部署およびトヨタ自動車さんや岩谷産業さん、豊田通商さんをはじめとした多数の他社、また国土交通省や大阪府を始めとした多数の行政機関の方のご協力をいただく事ができました。
そして、実証試験艇の船体設計は、ヤンマーマリンインターナショナルアジアで様々な試験艇を新規設計された経験のある木村さんにお願いしました。
――実証試験艇の建造では、どういったことが大変でしたか
木村:船体設計では、船を動かすための出力装置がまったく違うことですね。従来のディーゼルエンジンは、設計方法が標準化されています。今回の実証試験艇は、舶用水素燃料電池システムと出力装置のモーターが船を動かします。電圧を制御するためのインバーターや配電盤、大きなバッテリーパック、水素タンクなど、搭載する部品がとても多い。また、当然ながら、様々な航行状況においても安全性を確保する必要があります。
丸山:今回の建造における最大のポイントは、安全ガイドラインをベースとした安全性の確保でした。すべての船体構造、設計で安全性が確保されていなければ、実証試験の認可を取得できません。国土交通省や日本小型船舶検査機構(以下:JCI)などとコミュニケーションを取りながら、まとめてくれたのが平岩さんです。
木村:安全ガイドラインは「設計はこうなければならない」というものですが、現実的には難しいことも多々ありました。そういった場合は、代替設計案を検討して、平岩さんが国土交通省やJCIとの調整に尽力してくれました。
8本ある水素タンクの設置場所は本当に困りましたね。「スペースがない」「漏れてはいけない」「座礁や衝突しても安全である」など課題がいっぱい。悩みに悩んで「水素タンクは、天井でもいいかな。ちょんまげみたいに」とも考えました(笑)
平岩:最終的には、タンクも天井搭載ではなく、燃料電池システム等すべて船体内に収めることができましたね。今回は、前例がない「0(ゼロ)ベース」の建造。これまでのエンジン船をベースに改良するような「1」を「10」にすることとはわけが違う。木村さんの「0」から「1」を生み出す能力・全く新しいアイデアの閃きには尊敬しています。
――新型コロナウイルスの感染拡大も大きな障害だったと思います
丸山:これについては、木村さんがとんでもなく苦労されたと思います。木村さんは大分、私が滋賀、平岩さんが大阪。船体は大分で、舶用水素燃料電池システムやリチウムイオンバッテリシステムなどの主要な搭載品は滋賀と大阪で設計し、滋賀で製作、試験しました。木村さんはコロナ禍の状況で出張ができないので、船に載せる部品を現物確認することができないのです。
木村:船を設計するためには、「どんな部品が使われるのか」を知らなければいけません。また、「その部品はどんな役割か?」「熱いのか?」「振動するのか?」「重さは?」など、きめ細やかにチェックする必要があります。丸山さんには、膨大な写真や情報を提供してもらいました。
ヤンマーチームをはじめ、国や行政、さまざまな企業の協力を得て、水素燃料電池システムを搭載した実証試験艇が完成。JCIから認可を取得し、2021年3月より本格的な実証試験を開始しました。その姿は、次世代の船を感じさせる先進的なデザインでした。
――実証試験艇の評価はどうでしたか
木村:社内では「38フィートの重たい船を、電動モーターで20ノット以上というスペックは凄い!」といわれました。当然、油の匂いもしないし煙も出ない。そのうえ静か。あと電動モーターは、エンジン船と比べて加速性能が優れています。今後、試乗者が増えていくと、その乗り心地の良さも益々評価されていくと思います。
――実証試験をしてみていかがでしたか?
丸山:まず、大分県で電動パワートレインの制御ソフトウェアのチューニングなどの試運転調整を行い、その後に実際の航行環境下における水素燃料電池システムの動作を検証しました。そして、この9月に大阪湾に試験艇を移動し、移動式水素ステーションを用いて、世界初となる船舶への70MPa高圧水素充填を行い、大阪・関西万博会場予定地と市内沿岸部の観光地を結ぶ航路での航行試験を実施しました。これらから得た結果は、今後の水素燃料電池システム商品化開発と舶用水素インフラの検討に活用していきたいと考えています。
特に、大阪湾での実証試験では、メディア発表会を通して、世の中の多くの方々にこの取り組みを発信することができました。国内外からたくさんの反響があり、そういった方々とも一緒になって脱炭素社会への移行を牽引していきたいと思います。
平岩:実際にモノを作って現場・現物を肌で感じることは、机上検討している段階に比べて格段に多くの気付きがありました。また、社外発表を通じて、普段やり取りのあるお客様に限らず、国内外の公共団体など様々な方からお声掛けをいただいています。「実際にやってみる・やりきる」ことの影響度の大きさを実感しましたし、設計から建造、実証試験を通して私たちの経験値は大きくレベルアップしたと思います。
木村:従来のエンジン船では、気にしていない課題点が見えました。例えば、この船はフル電動であるため、振動・騒音が少なく、今までは気にならなかった部品の振動・騒音性能を考慮するべきだと実感しています。また、従来のエンジン船には無い部品が多く搭載されており、船体重量も重くなっているため、お客様の操船および保守・整備等を含めた造船の観点では、燃料電池を含めた各部品の軽量小型化やパッケージ化の検討が必要と思いました。
脱炭素社会を実現するために、いま、世界中でさまざまな技術開発が進められています。パワートレインの分野においては、車や鉄道、船舶の電動化が重要なテーマ。また、ヤンマーが開発している水素燃料電池パワートレインは、船用だけでなく、陸用にも活用できるパワーを秘めています。
ヤンマーの水素燃料電池システムの展開
●2023年、水素燃料電池システム実用化市場投入(300kW級)
●2025年、大阪・関西万博やカーボンニュートラルポート向けにシステムパッケージの商用利用を目指す
――水素燃料の未来について、今後の課題や叶えたい夢は
丸山:最終的には、人類が脱炭素社会へ移行する事です。我々の事業領域では、まずこの舶用水素燃料電池システムを事業化することが最初の一歩となります。それが出来なければ、次は無いという覚悟で取り組んでいます。そして、舶用水素燃料電池システムを事業化した後は、陸用発電機等への技術展開を考えています。
今回の取り組みでは、国や行政、企業などとのつながりができました。このつながりを活かして、様々なアプローチの仕方で脱炭素社会への移行を牽引したいです。
平岩:水素燃料電池や水素エンジン、それらを組み合わせたパワートレインシステムを完成させて、国内だけでなく世界に広めていくことが使命だと思っています。
木村:日本国内のマリーナに「水素ステーションがあるのは当たり前」になって欲しい。水素燃料電池を搭載した船がどれだけ進化しても、燃料となる水素が無いと走れない。そのためには、国や行政、エネルギー企業など、水素供給のインフラ整備も重要なのです。
今回の取材では、丸山さん、平岩さん、木村さんのお話を伺いました。いろいろなエピソードのなか、三人が共通して話されたことは「ヤンマーチームだけでなく、国や行政、関係機関、さまざまな企業の惜しまない協力があってこそ」という感謝の言葉。国・行政・関係機関の枠を越えて、多大な協力があり、そこには「脱炭素社会を実現したい」という世の中の熱い想いを感じました。
■社外
・国土交通省 海事局
・日本小型船舶検査機構
・国立研究開発法人海上・港湾・航空技術研究所 海上技術安全研究所
・大阪府
・大阪市
・大分県
・トヨタ自動車株式会社
・豊田通商株式会社
・岩谷産業株式会社
・株式会社フジキン
・ユニカス工業株式会社
■ヤンマーグループ
・ヤンマーホールディングス株式会社 技術本部
・ヤンマーパワーテクノロジー株式会社
・ヤンマーマリンインターナショナルアジア株式会社
・ヤンマーグローバルエキスパート株式会社
・ヤンマー舶用システム株式会社