お笑い芸人・マシンガンズ
滝沢秀一(たきざわ しゅういち)
1998年、西堀亮さんとお笑いコンビ「マシンガンズ」を結成。お笑い芸人として活躍する一方、2012年にごみ収集会社に就職。ごみ清掃員としての体験を綴った書籍を多数上梓。2020年消費者庁「食品ロス削減推進大賞審査委員会委員長賞」を受賞、同年環境省から任命され「サステナビリティ広報大使」に就任。現在は「マシンガンズ」としての芸能活動に加え、ごみ削減活動を中心に発信、執筆、講演など多方面で活躍している。
2025.03.28
ヤンマーは「A SUSTAINABLE FUTURE -テクノロジーで、新しい豊かさへ。- 」の実現に向け、事業活動を軸に社会貢献などさまざまな取り組みを⾏っています。その基盤となるのが「HANASAKA(ハナサカ)」。これは、「⼈の可能性を信じ、挑戦を後押しする」という、創業時より受け継がれてきたヤンマーの価値観を指します。
Y mediaでは、何かに挑戦している⼈、誰かの挑戦を後押ししている人を「HANASAKAビト」と呼び、その取り組みをご紹介していきます。
今回ご紹介するのは、お笑い芸人、ごみ清掃員、ごみ研究家、サステナビリティ広報大使(環境省)と数多くの肩書きを持つ滝沢秀一さん。マルチなキャリアの原点は、36歳から始めた「ごみ収集作業」の仕事でした。当初は「辞めたくて仕方がなかった」という滝沢さんですが、とあるきっかけから「日本一のごみ清掃員を目指そう」と決意。目の前のことに真摯に取り組み続けた結果、どんどん人生が拓けていったといいます。30代中盤からの挑戦を機に全てが変わった、滝沢さんのライフストーリーを振り返ります。
お笑い芸人・マシンガンズ
滝沢秀一(たきざわ しゅういち)
1998年、西堀亮さんとお笑いコンビ「マシンガンズ」を結成。お笑い芸人として活躍する一方、2012年にごみ収集会社に就職。ごみ清掃員としての体験を綴った書籍を多数上梓。2020年消費者庁「食品ロス削減推進大賞審査委員会委員長賞」を受賞、同年環境省から任命され「サステナビリティ広報大使」に就任。現在は「マシンガンズ」としての芸能活動に加え、ごみ削減活動を中心に発信、執筆、講演など多方面で活躍している。
お笑いコンビ・マシンガンズの滝沢秀一さんには、「お笑い芸人」と「ごみ清掃員」という2つの顔があります。芸人としては、「THE SECOND ~漫才トーナメント~2023」で準優勝。ごみ清掃員としては収集作業を続けつつ、仕事を通じて得た知識を書籍や講演などで世の中に発信するほか、一般社団法人ごみプロジェクトの代表理事として、「ごみを社会からなくす」ための活動を展開。2020年には環境省の「サステナビリティ広報大使」にも任命されました。今でこそ「二足のわらじ」を見事に履きこなす滝沢さんですが、ここに至るまでには多くの苦難や葛藤があったといいます。
人気ネタ番組への出演をきっかけに、30歳前後で芸人として日の目を見た滝沢さんが、ごみ収集会社に「就職」したのは36歳の時。その選択は、やむにやまれぬ事情からでした。
「妻が妊娠し、お金が必要になったんです。それなのに35歳くらいから少しずつ芸人の仕事は減っていて、貯金もほぼゼロ。早急に仕事を探しました。でも、当時はどのアルバイト雑誌を見ても募集は35歳まで。年齢不問と書いてあっても、電話口で門前払い。知人の口利きで、やっと見つけたのがごみ清掃員の仕事でした。今でこそサステナビリティ広報大使なんてやっていますけど、当時はごみの知識は全くなくて、環境に対する意識も薄かった。本当に、生活のためだけに始めた仕事でしたね」
しかし、ごみ清掃員の仕事は想像以上のハードワーク。不規則な生活を送ってきた36歳には、骨身にこたえるものでした。加えて、当時はごみ清掃員に対する職業差別のような言葉を投げかけられることもあり、「精神的なストレスも相まって、どんどん疲弊していった」と滝沢さんは振り返ります。
「朝5時に起きて、職場までは自転車で1時間。仕事中はごみを集めるためにひたすら走り回ります。夏は熱中症、冬は寒さとの戦いもある。みんながみんなごみを分別してくれるわけじゃないから、酷暑に耐えつつ中身を一つひとつ確認したり、雪をかきわけてごみ袋を探したり。こんなにも過酷な仕事なのかと思いましたよ。なかには困った人もいて、『昨日、朝一番でごみを出したのに、なぜ回収しないんだ』と明らかな嘘をつかれたこともありますし、回収している時に『どけよ、邪魔だろ』や『ごみ屋』といった言葉をぶつけられたこともありました。疲労でいつも目が真っ赤に血走っていて、当時の漫才は“キレ芸”に妙なリアリティが出ていたと思います」
週5勤務のごみ清掃員を始めてから3年間は、ひたすら辞めたいと思っていたそう。気持ちが転じるきっかけは、ある同期芸人の活躍に刺激されたことでした。
「同期のサンドウィッチマンが出演する番組を見ていた時に、彼らが“司会者から遠い席”に座っていることに気づきました。M-1グランプリのチャンピオンである彼らでさえ、まだその序列なのかと。そう思った瞬間、ふと我に返ったんですよね。俺はいったい、どこに向かっているのか。サンドウィッチマンと違い、未だに何者でもない自分が芸人としてこれから売れる見込みなんてあるのか。悩みましたが、結局は目の前のことを頑張るしかないなと思いました。お笑いの仕事はほとんどない。だったら、ごみ清掃の仕事を極めてやろうと。サンドウィッチマンが日本一の漫才師なら、俺は日本一のごみ清掃員になろうと」
視座が高まるとものの見え方も変化し、次第にごみを出す人の心理も見えてくるようになったそうです。たとえば、「分別をしない人」にも段階があり、まるでやる気がない人もいれば、「きちんと出そう」という意思を感じられる人もいる。ごみの出し方で、微妙な差が分かるようになったといいます。
「たとえば、以前はペットボトルの回収ボックスに(プラマークがついている)シャンプーの空容器が入っていると、『ちゃんと分別してくれよ』としか思いませんでした。でも、よく見ると中身がきれいに洗われていたりする。なるほど、この人はモラルがないわけではなくて、ルールを知らないだけなんだなと。だったら、ルールを覚えれば改めてくれるはず。そういう人って、意外と多いのではないかと思ったんです。自分自身、ごみ収集作業の仕事を通じて知ったことは山ほどある。それをSNSなどで発信すれば、誰かの行動を変えられるかもしれないなって」
分別しない人を糾弾するのではなく、お笑い芸人らしいアプローチでごみについて語る。そして、まずは「改めてくれそうな人」に届ける。正しいごみ出しの知識が少しずつでも広がっていけば、自分を含む収集作業員の負担も軽くなる。それができるのは、ごみ清掃員でもあり芸人でもある自分だけかもしれない。滝沢さんのなかで、目指すべき「日本一のごみ清掃員」への道筋が、なんとなく見えてきました。
「芸人だから、最初はごみの話で『笑わさなきゃいけない』と力んでいたところもありました。でも、先輩の有吉(弘行)さんから、ちゃんと伝えたほうがいいとアドバイスをいただいて。ごみにまつわる話は意外なことも多く、内容自体がおもしろい。だったら無理やりお笑いに変換せず、変に盛ったりもせず、分かりやすく発信したほうがいいと。言われた通りにやり始めてからは徐々に反響が出てきて、少しずつ道が拓けていく感覚がありました」
「雨が降った朝のダンボールは水を吸っていてコンクリートのように重い」
「雨と風が重なる日のペットボトル回収は、まるで生き物のように動き回るので、うなぎを相手にしているようだ」
知られざる「ごみ清掃業あるある」や、意外と知られていないごみ分別のルールを「ごみトリビア」という形で発信。SNSのフォロワーは増え、ごみ清掃員としての日常を綴ったエッセイ本も話題に。「ごみ研究家」として、講演やイベントに招かれる機会も増えていきます。
また、ごみ清掃員としての充実は、芸人の仕事にも思わぬ影響をもたらしました。
「漫才などの舞台ですべることが怖くなくなりました。以前はお笑いしかなかったから、『ウケない=死』みたいな感覚だった。でも、お笑いライブですべっても、『まあ、明日のごみ清掃を頑張ればいいか』と気持ちを切り替えられるようになった。逆に、ごみを収集している時に分別してくれない人がいても、舞台や番組収録で喋るネタができたと思えば何てことはない。そうなると不思議なもので、お笑いの仕事も増えていきましたね」
さらに、ごみを通じて世の中のことを知れたのも大きかったと滝沢さんは言います。本を出し、講演をするからには自分自身が知っていなければならないことが多く、一つひとつを学んでいくうちにさまざまな知識がつながり、社会全体の問題を多角的に捉えられるようになりました。
「ごみの問題って、世の中のあらゆる問題につながっている。フードロスや環境汚染、エネルギー問題。深刻なテーマもあるだけに、時には僕が発信した内容に対して『それは違う!』と批判をいただくこともある。そうした声もいったんは受け止めて、また勉強をする。その繰り返しで、いつの間にか色んな知識が増えていきました。それも特に、新しい知識を仕事につなげようという意図はなく、その時々で求められることに答えようと一生懸命やっていただけですね」
インタビュー中、滝沢さんは何度も「目の前のことを頑張っていただけ」と繰り返しました。今でこそ二足のわらじによるシナジーが生まれていますが、それはあくまで結果に過ぎず、最初から狙っていたわけではないと。お笑いもごみ清掃も「本業」として没頭したからこそ、望んでいた以上の未来が拓けていったのだと考えています。
「第一子が生まれてからしばらくは、仕事はごみ清掃員だけでしたからね。長男は、父親が芸人とは思っていなかったんじゃないかな。だから、『THE SECOND』に出て、俺がテレビで漫才をやる姿を初めて見た時は、すごく喜んでいましたよ。同時に、大人になったら仕事を2つ持つものだと思ったみたいで、『将来はプロ野球選手とごみ清掃員になる』と言っていました。斬新な二刀流ですね」
現在、滝沢さんは「世界のごみを減らす」という大きな目標を掲げています。そのためには、自分一人ではなく仲間が必要。2021年には「滝沢ごみクラブ」というコミュニティをつくり、ごみの専門家や環境活動家、リサイクル事業者など、同じ志を持つ人の輪を広げてきました。
「たとえば、どこかの小学校から『児童にごみのことを教えてほしい』というご相談を受けたとします。個人的には無償でもやりたいのですが、芸能事務所に所属している以上、完全ボランティアというのは難しい。そんな時に仲間がいれば、俺が動けなくても彼らが代わりに子どもたちに教え、ごみへの理解を深めてもらうという貴重な機会を失わなくて済みます。今は一人でも多く、“ごみの先生”を増やしたい。SDGsの達成期限に設定された2030年まで、残り数年しかないことを考えたら、本当に急がないといけませんよね」
とはいえ、いくら正しいことでも伝わらなければ意味がありません。環境問題にまつわる目を背けたくなるような事実も、過度に不安を煽るのではなくエンタメの力を使って、前向きな形で発信する。そこは芸歴約30年の腕の見せどころ。滝沢さんは「これまで培った芸人のスキルを、無駄なく活用する。これもリサイクルみたいなものですね」と笑います。
約10年前、必要に迫られて始めたごみ清掃員の仕事。それがここまで大きなアクションにつながるとは、滝沢さん自身も予想していませんでした。これからも明るく楽しい未来を切り拓くため、滝沢さんは「目の前のこと」を頑張り続けます。何かに挑戦している⼈であり、誰かの挑戦を後押ししている人でもある。そんな滝沢さんのライフストーリーは、「HANASAKAビト」の姿そのものでした。
写真:石原麻里絵
取材・文:榎並紀行(やじろべえ)