玉村豊男(以下、玉村) 僕が最初にブドウを植えたのは1992(平成4)年で、もう23年も前のことです。自分の飲みたいワインをつくるためにブドウをつくったのがきっかけです(笑)。2003(同15)年に免許をとって、その年の収穫からワインづくりを始めました。そのうち、いいワインができるらしいと評判になって、ワインをつくりたい人たちが集まってきた。いま、移住してブドウの栽培を始めた人は15人以上、予備軍が同じくらいいます。それで、醸造所を併設した日本初の民間アカデミーをつくって、今春開講することにしました。小さいワイナリーが集まって個性的なワインができれば、人も集まってくるし広がりも出てきますから。
小林直樹(以下、小林) ワイナリーが集まって競争を始めると、消費者に選択肢ができて、やがてブランドに成長していきますね。
佐藤可士和(以下、佐藤) ブランディングも必要ですね。2007(平成19)年に子どもが生まれたのですが、東京では土に触る機会がない。そこで、貸しファームでゆる~く農業をやっていました。翌年に、ある雑誌の農業取材を受けたところ、クリエイターなのに農業をやっていると思われて、それから2~3年はデザインや本業の取材より農業の取材のほうが多かった(笑)。
玉村 ヤンマーさんは、このことをご存じでしたか?
小林 ええ、知っている社員は大勢いました。
佐藤 その後、ヤンマーさんの仕事をすることになったんです。子どものために始めたことが仕事にも役立ち、玉村さんとも再会できました。ですから、とても感慨深いです。
小林 農業に携わる人のイメージは、専業農家と兼業農家の二つしかありませんでした。けれど、ここ10年ですごく変わってきています。たとえば、農業を生きがいとして考えている人たちが増えていますね。
玉村 農業は時代の転換期にきていますが、メーカーとしての対応にも変化がありますか?
小林 そうですね、人手をかけないように機械を自動化したり、遠隔操作をしたり、機械が壊れる前に察知できるようなものを考案しています。
佐藤 ヤンマーさんの仕事を引き受けるときに、いつまで経ってもヤン坊・マー坊のイメージしかない。もっと正確に消費者に理解してもらいたいといわれました。農機事業部という名前では、単に農業機械を販売しているだけみたいだったので、アグリ事業部というネーミングを提案しました。ヤンマーの技術を使って新しい農業を切り開いていくイメージです。
小林 年明けから事業部の名前を変えて、確かに我々の意識も変わりました。農家の悩みも解決していきます。