橋田元
国立極地研究所 南極観測センター 副センター長(観測担当)
准教授 博士(理学)
第39次、第44次、第54次越冬隊に参加(第54次は越冬隊長)、夏隊でも複数回参加。
2017.02.22
日本の南極観測を発電機で支える。 南極観測隊の一員として歩んできたヤンマーの30年(後編)
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2017年で60周年を迎える日本の南極観測。昭和基地を拠点としたこの活動に、ヤンマーは1984年以来30年以上にわたって携わってきました。今回Y MEDIAでは、南極観測の実施母体である国立極地研究所(以下、極地研)とヤンマーから、計5名の南極観測隊参加経験者による座談会を実施。前編では、南極観測隊の歴史や構成、現地での基本的な作業内容、その中でのヤンマーの発電機の役割やヤンマー社員の仕事などについてうかがいました。
後編では、南極での生活の詳しい様子、現地をよく知る隊員ならではのとっておきのエピソード、そして南極観測の未来などをテーマにお話しいただきました。
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藤野博行
国立極地研究所 南極観測センター 設備支援チーム
第48次越冬隊、第54次夏隊(ドームふじ基地)に参加。
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石沢賢二
国立極地研究所 極地工学研究グループ技術職員
第19次より、越冬隊5回、夏隊2回に参加。
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阿部賢治
ヤンマー株式会社
エンジン事業本部 特機エンジン統括部 品質管理部 品質管理グループ 部品調査係 係長
第41次、第53次越冬隊に参加。
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久川晴喜
ヤンマー株式会社
エンジン事業本部 特機エンジン統括部 生産部 尼崎工場 運転グループ 運転係 六工場運転班
第48次、第54次越冬隊に参加。
※取材者の所属会社・部門・肩書等は取材当時のものです。
発電機が昭和基地に生み出す「安心の音」
観測、設営、それぞれにとっての良い緊張感
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――南極と聞くと、ものすごく厳しい環境を想像してしまうのですが、現地での日々の生活はやはり過酷でしたか?
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よく「毎日缶詰を食べてるのですか?」「風呂には入れるんですか?」などと聞かれますが、そのような“過酷さ”はありません(笑)。生活環境は整っていて、基地では日本にいるのと同じように快適に過ごせます。もちろん、外に出れば環境は厳しいです。
野外観測のためにスノーモービルや雪上車で基地から数十キロ離れた場所に向かい、1週間テントで生活するといったケースは少なからずあり、その際は南極の過酷さを肌で感じることになりますね。
――基地内の快適性はある程度あるのだろうと想像してましたが、日本での暮らしと変わらないとは、少々驚きました。空調をはじめ必要なエネルギーを考えると、発電機を供給するヤンマーの担う役割は本当に重要ですね。
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そうですね、発電機は間違いなく隊員全員の生命線なので、それがきちんと動くかどうかの責任を負うことには、強い使命感とともにプレッシャーを感じます。実は私が担当の際に、問題が起きました。自分のミスもあって2度ほど発電機を止めてしまいました。基地全体が真っ暗になって、しかもあらゆる機器の電源がすべて落ちてしまうので、ものすごく静かになって……。あの静けさは、二度と味わいたくないですね。
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基地の中で生活していると常に発電機の回っている音が聞こえていて、それによって安心できたりするんですよね。なので、その音が全部止まると、ドキッとします。
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夏の期間に必ず停電の訓練をします。一度電気を完全に落として、復旧作業を実際に経験して、万が一の停電に備えます。
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復旧作業もしっかり訓練しますが、たとえ何分間であれ観測機器の電源が落ちると、観測記録に穴を開けてしまいます。自分のせいでそうなってしまうのは、やはりとても心苦しいです。
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何年もデータを取り続けている観測でも、停電した時間のデータがないために結果に不備が生じてしまったというケースも聞きます。私たちの責任は大きいですね。
南極で電気を作る一番の目的はもちろん観測です。観測の人がいなければ設営がいる意味はありません。一方で観測の人からは「設営の人がいるから観測ができるんです」と言ってもらえることもある。お互いにそう思える関係が理想であり、実際どちちが欠けても成り立たないんですね。
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観測する側の私たちも、自分のミスによって良いデータを取ることに失敗してしまうと、様々なサポートをしてくれている設営の人たちに申し訳なく思います。お互いに良い意味での緊張感を持っていないといけないと感じます。
しっかり切り替えてリラックス
体調管理も独特な、南極でのオフタイムとは?
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――任務中は良い緊張感が流れているようですが、仕事以外の時間はどのような雰囲気なのでしょうか?
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ずっと部屋にこもって観測に没頭する研究者もいますが、基本的にはみな、オンオフのメリハリはあるように思います。
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設営は基本、仕事は朝9時から午後5時まで、とオンオフがはっきりしています。私は仕事が終わるとお風呂に入ってご飯食べてと、リラックスして過ごしました。バーやビリヤード台など、レクリエーションの場も充実しているので1年間とても楽しく生活できました。
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学校のような「係」もあって、たとえば「シアター係」が日程を決めて映画の上映会を開いたりします。誕生会もやりましたね。4月には隊員の有志がみなに内緒で夜中に廊下を造花の桜並木にして、朝起きたらみなびっくり、ということもありました。
――限られた空間でも楽しく過ごせるように工夫されてるんですね。医療担当の方もいらっしゃるとうかがいましたが、健康管理も気になるところです。
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南極では、風邪はひかないんですよ。
――え、そうなんですか? 寒さで免疫が落ちるのかと……
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ウィルスがないからと言われています。ものすごく乾燥しているので、日本だったら喉をやられて熱が出て、ということも考えられますが、まず感染しない。
――人間社会と距離がある、南極ならではの面白さですね。
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目は気を付けなければなりません。周囲が全部雪で真っ白だから太陽光の反射が強く、夏は特に「雪目」になる人が多いです。サングラスは必須。南極は紫外線がとても強いので皮膚の病気にもなりやすく、各自しっかりと対策します。
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歯の問題も多いですね。昭和基地に歯科医師はいません。医療隊員が出発前に研修を受けていますし、歯科診療設備も整っていますが、限界はありますので、行く前には必ず直しておくように隊員の皆さんには伝えています。
リベンジで達成した「1年間無停電」の偉業
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写真撮影:第55次南極地域観測隊 塚本隊員
――南極ならではといえば、自然現象や動物との出会いも。
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一番印象深いのはオーロラですね。「今日は出る」ということがわかれば、夜更かしして見ることもありました。夜中や明け方に出ることが多いんです。
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オーロラが出ると、基地内の無線でお知らせが入ります。太陽活動に関係した現象で、気象条件にも左右されるので毎日見られるわけではありません。写真で紹介されるような綺麗なオーロラも頻繁には出ないんです。でも、ぼんやりしたものは比較的よく見られて、ああ南極にいるんだという気持ちになりますね。
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動物もオーロラと同じく、世間でのイメージほど特別なものが見られるわけでもないですね。よく見られるのはペンギン、アザラシ、トウゾクカモメなど。印象的なのはペンギンですが、昭和基地の近くで見られるのはアデリーペンギンだけです。でも越冬中に一度、橋田さんと一緒にコウテイペンギンを見たことがあって、そのときは嬉しかったです。コウテイペンギンの生息地は昭和基地から遠いのですが、時々基地の方に迷い込んできます。
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あのときは8羽来てましたね。
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私も越冬中に一度、見ることができました。
――南極での越冬体験、やはり思い出話も一生モノですね。
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忘れられないエピソードといえば、先ほど久川さんが最初に越冬した時に停電になったことを話されましたが、2回目に久川さんが越冬された第54次隊のとき、停電はありませんでしたよね。私はそのことが印象に残っています。停電は様々な要因で起こるので、1年間を一度も停電せずに越えられるということは、実はなかなかないんですよ。
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一度自分の未熟さもあって発電機を止めてしまったので、2回目の越冬が決まった時には「”1年間無停電”を目標にしよう」と誓いました。運も良かったと思いますが、実現できてうれしかったです。
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私も一緒でしたが、あのときは越冬交代の1ヶ月くらい前から「これは無停電でいけるかも!」とみんなでドキドキしていましたよね。
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最後の1日なんて全員緊張してたんじゃないですか。野球で完全試合が決まるイニングのような感じで(笑)。
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1年間で合計8,000時間ほど発電機を動かすのですが、動いた時間の分だけ発電機に表示される時間が増えていきます。第54次隊では一度も止めることなく、第55次隊と交代するときにゼロに戻せたのはやっぱり嬉しかったですね。1回目の失敗があってのことだったので、みなさん「よかった!」ととても喜んでくれて。忘れられない経験です。
昭和基地で観測を続ける大きな意義、
それを支えるヤンマーの発電機
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――南極観測が始まって60年。人類にとって未知な場所を開拓した時代から、さまざまな段階を経て現在に至ります。長い歴史を踏まえ、またその一端を担ってきたみなさんは今、南極での観測にどんな使命を感じていますか。
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私たちヤンマーの人間にとっては、これまでもそしてこれからも、南極観測が滞りなく進むように良質な電気をしっかり供給していくことと、隊員のみなさんに現地でより快適に生活してもらうことが第一の目的です。それは変わりません。
ただ、自分自身の経験から言えば、観測隊に参加したことで意識の変化がありました。私たち設営の人間は、行く前はどちらかというと「南極という未知の場所に行ける」ところに気持ちの重心がある人が多い。でも現地で様々な観測の現場を目の当たりにし、一緒に越冬した隊員がその成果を国際的な場で発表するのを見ると、観測をサポートする我々の仕事の重要性がよりはっきり理解できるようになりました。自分たちの仕事も環境保全や地球環境に対して確かに役立っている。今、そう実感できるのが嬉しいです。
――石沢さんは70年代から観測隊に参加され、近年も現地にいらっしゃるなど、南極観測を長く見られています。変化は感じられますか。
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昔はとにかく「南極について知ること」が目的でしたが、未知の要素が少なくなった現在は、南極の特殊な環境を利用した天体観測や、地球温暖化について南極だからこそわかることを探るなど、「地球全体にとって役に立つ観測を行うこと」に重点が移ったと実感しています。私個人としては設営の立場として、今も昔も変わらず、隊員全員が無事に帰ってこられるようにすることが何よりもの使命です。
――南極観測は宇宙開発のように、その必要性が一見して誰にとっても明確という類のプロジェクトではないですよね。今回みなさんにお話いただいた基本的なことも、まだまだ一般的には知られていません。継続のための努力もされていますか?
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今後も南極観測を維持、発展させるかに関しては、常にシビアに考えています。仮に日本が「南極観測をやめる」ということになれば、おそらく多くの人が反対してくださるとは思いますが、それだけではダメです。なぜ日本が南極まで観測隊を派遣して活動する必要があるのか。その問いに対して説得力のある説明を準備することは、南極をフィールドに研究をする自分たちの務めです。時代の変化に応じて、常に必要性を伝えることが大事だと感じています。
――現状では、南極で活動する一番の意義はどこにあると考えますか?
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南極について私たちが理解できていることはまだ本当に限られています。たとえば、各国の基地が集中している西南極は急速に温暖化しているのに対して、昭和基地のある東南極ではまだ明確な兆候が捉えられていません。また温暖化によって南極大陸では降雪量が増していたり、北極の海氷は溶けているのに南極周りの海氷は面積が広がる傾向を示すなど、解明できていない事実も多々あります。なぜそうなるのか、そして地球全体にはどんな影響があるのかを理解する。さらに原因を解明し、根拠とともに示すことが、現在の観測の大きな目的です。
日本は、南極においても未知の要素が多い東南極に基地を持っているという特性を生かし、今後も南極観測を維持、発展させていくことがとても重要だと考えています。
――ヤンマーの南極での取り組みも今後も続いていきそうですね。
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今昭和基地で動いている発電機もそろそろ交換の時期に来ています。新しい発電機になってもヤンマーの人間が継続して南極に行き、若い社員が毎年続いてくれるような環境づくりを、隊員OBとしてやっていきたいと思っています。
――最後に、極地研からヤンマーに期待されることはありますか。
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ヤンマーさんには、第25次から30年以上にわたって継続して昭和基地の心臓部を担当していただいています。発電機はもちろん、その他のメンテナンスも含めてずっとやってきていただいたおかげで昭和基地が成り立っていると、私は思っています。
心より感謝しつつ、毎年優秀な方が一人、1年以上会社を離れるというのはとても大変なことなはずです。無理は言えないと思いつつもあえてお願いしたいですが(笑)、今後も可能な限りご協力いただき、一緒に南極観測を盛り上げてもらえたらありがたいです。
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南極観測隊の成り立ちから今にいたるまで、歴史や活動内容、存在意義、その中でヤンマーが果たす役割について、実際に観測隊を経験されたみなさんに前後編でたっぷりとお話いただきました。60年前に少数の先人たちが切り開いた道を、1年1年、様々な立場の方たちがバトンをつなぎ、成果を積み上げた結果として今があるということが、みなさんの言葉から伝わってきます。
近年問題になっている地球温暖化の解明など、南極観測の成果はより重要性を増していくことでしょう。ヤンマーが掲げるA SUSTAINABLE FUTURE、100年先の資源循環型社会を目指すうえでも大きな意味を持つこのプロジェクトに、私たちは引き続き取り組んでいきます。
ヤンマー公式Facebookページでは、派遣中の隊員からの現地レポートを定期的に投稿しています。この記事で興味を持っていただけた方は、そちらもぜひご覧ください。