滋賀県の農家に生まれた山岡孫吉さんが、1912年に大阪で「山岡発動機工作所」を開設したのが始まりなんだ。当時はガス発動機の修理や販売をしていたんだよ。
2019.09.05
歴代のヤン坊マー坊たちと一緒に、ヤンマーの歴史を振り返ろう!
ヤンマーの企業マスコットキャラクターとして、ともに歩んできたヤン坊マー坊も今年で60周年。この9月には、未来を予感させるデザインに生まれ変わりました。ヤン坊マー坊がその時代に合わせて変化し、愛され続けてきたように、ヤンマーもその時代の課題やお客様のニーズに寄り添い事業を展開し続けてきました。そんなヤンマーの歴史を、歴代のヤン坊マー坊たちと一緒に振り返りましょう。
ガス発動機から石油発動機、そしてディーゼルエンジンへ
―― 今日はヤン坊マー坊から、ヤンマーの歴史を教えてもらえると聞いて楽しみにしていたんだ。早速だけど、創業当時のことを教えてくれるかな。
そのあと1921年に、農業用の石油発動機を開発したんだ。商品の名前は、農業を象徴する「トンボ」にしたかったんだけど、もう使われちゃってて。それでトンボの王様オニヤンマと山岡のヤマからとって「ヤンマー」って名づけたんだって。この「ヤンマー」がそのまま社名になったんだけど、ヤンマーっていう響きが僕は気に入ってるんだ。
―― 始まりは、ガスと石油発動機だったんだ!でもなぜディーゼルエンジンになったの?
1930年代に、山岡孫吉さんがドイツの見本市で、大型ディーゼルエンジンと出会ったのがきっかけなんだ。孫吉さんは、すぐに「小型化すれば、農業用の動力などに使える!」って思って、日本に帰って開発にチャレンジしたんだって。最初はとっても苦労したみたいだけど、みんなあきらめなかったから、1933年に世界初の小形横形水冷ディーゼルエンジン「HB形」が完成したんだよ。
僕たちが生まれたのが、1959年だから、それよりずっと前に、すごい技術を開発していたんだ!
1959年に農家さんや漁師さんに役に立つ情報を届けるために、「ヤン坊マー坊天気予報」の放送がスタートしたんだ。当時の僕たちは、ちょっとスリムでお兄さんぽいでしょ。
「農家の仕事を楽にしたい」という思いを胸に、農業機械市場へ本格的に参入
―― エンジンの生産・販売からスタートしたみたいだけど、どうしてヤンマーは農業に力を入れていたの?
農家で育った山岡孫吉さんが、ずっと「農家の仕事を楽にしたい」と思っていたからなんだって。1950年代には、農業で耕うん機が使われるようになってすごく普及しはじめたんだ。ヤンマーも1961年にヤンマー農機(株)を設立して、本格的に農業機械事業を始めたんだ。
社会人チームとして、ヤンマーサッカー部ができたのもこの頃なんだって。1957年の創部当時はたった14人だったそうだけど、1963年には関西実業団選手権で優勝するまでになったんだよ。
僕たちも1964年から2代目になったんだ。より子供らしくかわいくなったでしょ。
舶用エンジン拡大の流れを受け、FRP船で漁船市場へ参入
―― ヤンマーは舶用エンジンや船自体も手掛けているけど、その歴史も教えてほしいな。
1945年に船用の小型ディーゼルエンジンの開発を始めて、1947年には「船舶用小型ディーゼルLB形」を販売しているんだ。それまでの石油などに比べて、ディーゼルエンジンは安全で燃費も良かったから、漁船のエンジンとして一気に広まったんだ。
1970年代初頭は、日本ではまだ木造の漁船が主流だったんだけど、ヤンマーは1972年に岡山県にヤンマー造船(株)を設立して、FRP漁船の生産を始めたんだ。軽くて丈夫なFRP船は、木造船と比べても短期間で作れたから、これもすぐに世の中に広まったんだよ。
ヤンマー FRP 船の1号艇「A-250」は1972 年 10 月に完成したんだ。僕たちは、1968年から3代目。テレビもカラーの時代に入って、表情もよりイキイキしてきたんだ。
発電用として南極でも活躍する大型エンジン
―― ヤンマーは小型エンジンからスタートしたけど、長年、大型エンジンも手掛けてきたんだよね?
ヤンマーの大型エンジンは、1952年に尼崎工場で開発した、外航船の発電用エンジンが始まりなんだって。発電用として長年開発されているんだけど、1984年から南極昭和基地の発電機でも、ヤンマーのディーゼルエンジンが使われているんだ。
ヤンマーの技術は、こんなところにも使われているんだね!このエンジンのメンテナンスをするために、1984年からヤンマーの社員が交代で、昭和基地で働いているんだ※。
社員の皆さんは、強い想いを持って昭和基地での観測や生活を発電の面から支えているんだ。僕らは1988年に4代目に生まれ変わったんだよ。
※ヤンマー社員は南極地域観測隊員になるため、国立極地研究所に出向します。
小型建機のパイオニアとして、業界のスタンダートとなるミニショベルを発売!
―― 建設機械にもヤンマー製品があるよね。この事業は、どんな歴史をたどってきたのかな?
まだまだツルハシやスコップを使った人力作業が多かった1960年代に、土木作業を楽にする建設機械としてミニショベル「YNB300」を発売したのが始まりだよ。その後も、ホイルローダーやキャリア、投光器から溶接機まで、時代に合わせた商品を開発してきたんだ。
1993年に発売した「後方超小旋回機ViOシリーズ」は、旋回時に車体の後ろがはみ出さない安全設計で、ミニショベルのスタンダードになっているんだよ。
そうそう!そういえば同じ1993年に、Jリーグ加入を目指して、ヤンマーサッカー部が「セレッソ大阪」になったんだ。
後方超小旋回機ViOシリーズ」は、後部で作業者を巻込むことが少ない安全なミニショベルなんだ。僕たちは1995年から5代目に変わっているよ。
エネルギーの効率化と環境対応を進めるため、エネルギー事業を強化
―― ヤンマーはエネルギーの分野でも、効率化やCO2の排出削減に、積極的に取り組んでいるよね。
1980年代後半ぐらいから世の中の生活がより豊かになって、エネルギーはこれまで以上に必要になってきたんだ。以前から省エネや燃費向上に取り組んできたヤンマーとしては、エネルギーの分野でも効率的に貢献したいと思って、1987年にガスヒートポンプ空調システム(GHP)「Y4GPA」を開発・発売したんだよ。
ヤンマーはこれまでも、省エネルギーや燃費の改善に取り組んできたからね。その中心になってきた中央研究所も2000年に新しく建てられたんだ。エネルギーの分野もGHPやコージェネシステムを中心に発展して、2003年にはヤンマーエネルギーシステム㈱が誕生したんだ。
これが「Y4GPA」。GHPはエネルギーの問題解決への期待も大きくて、開発にあたった各社は(社)日本ガス協会から「技術大賞」をもらったんだよ。僕たちは1999年から6代目。天気予報のアニメも、環境をテーマにしたものが登場したよ。
おかげさまで100周年!次の100年に向けたさまざまな活動が始動!
―― 2012年で、ヤンマーは100周年を迎えたよね。この時はどう?忙しかった?
次の100年に向けたプレミアムブランドプロジェクトがスタートしたからね。ヤンマーの新しいロゴができたり、いろいろな製品のデザインを一新して統一したり、ヤンマーが大きく変わった年だったよ。
2013年も、ヤンマーミュージアムの設立や新本社ビル「YANMAR FLYING-Y BUILDING」の建てかえがあったり、プレミアムマルシェの活動も始まったりと忙しかったよね。でも未来に向けて、ワクワクしたよ。
「YANMAR FLYING-Y BUILDING」は、そのデザイン自体がヤンマーの未来のコンセプトを示しているんだ。
そして、これがコンセプトトラクターの「YT01」。すごく未来的でかっこいいでしょう。このデザインが今の商品にも受け継がれているんだ。僕らはこの時7代目。「ヤン坊マー坊天気予報」は2014年で放送終了したんだけど、僕たちはいろんな現場に出て活躍していたんだよ。
「A SUSTAINABLE FUTURE」を掲げ、未来の新しい豊かさを実現する
―― 最近はICTやAI、ロボットなど、産業革新が進んでいるけど、ヤンマーの新しいチャレンジも聞かせてほしいな。
2016年にブランドステートメント「A SUSTAINABLE FUTURE」を発表して、新しい豊かさを目指す4つのビジョンを作ったんだ。今みんなは、その実現に向けて、それぞれの場所で頑張っているよ。
自動運転技術を搭載したロボットトラクターやオート田植機の販売も始めたし、ボートの自動着桟技術とか、海の分野でも技術開発に取り組んでいるんだ。先進的でしょ。
そうそう!2019年10月5日には、ヤンマーミュージアムもリニューアルオープンするんだ。楽しい催しがいっぱいある体験型ミュージアムだから、ぜひ一度遊びに来てね!!
「やってみよう!わくわく未来チャレンジ」をコンセプトに、子どもたちが、見て・触れて・体験しながら学べる、チャレンジミュージアム。8代目の僕たちと一緒に未来の体験をしよう!