ヤンマーテクニカルレビュー
信頼・安心のためのトライボロジー技術(空調用圧縮機へのトライボロジー技術適用による信頼性向上事例の紹介)
Abstract
TRIBOLOGY is defined as "The science and technology of interacting surfaces in relative motion and of related subjects and practices" according to the glossary of the OECD. And it is also an engineering field that deals with friction, wear, and lubrication.
As there are many parts which works in sliding motion, TRIBOLOGY is an essential technology for ensuring reliability and durability of YANMAR products.
In this article, the study case of the reliability improvement of the compressor installed in a gas engine heat pump system is introduced applying experimental and theoretical analysis techniques of TRIBOLOGY. Specifically, operating conditions which makes insufficient lubricating condition were identified through experiments using an electrical measurement method of surface contact ratio. Furthermore, the oil film thickness at vane top was calculated using a theoretical analysis to clarify the mechanism of the insufficient lubrication.
1.はじめに
OECDの定義によると,トライボロジーとは相対運動しながら互いに影響を及ぼしあう二つの表面の間に起こる全ての現象を対象とする科学と技術,と定義されている.簡単に言えば,擦れ合う物の表面や表面近傍の知識,知恵であり,スムーズに滑らせ,滑りがあっても表面を擦り減らなくするための技術である.
機械には多くの擦れ合う部品,すなわち摺動部品がある.当然のことながらヤンマー商品も同じである.このスムーズに滑らす技術により,機械はより信頼性耐久性が向上し,より低燃費にできるため,トライボロジーは現在,注目を浴びている技術の一つとなっている.
本報においては,ガスエンジン駆動式ヒートポンプ(Gas Heat Pump,以下GHPと略す)に用いられている圧縮機にトライボロジーの実験技術ならびに理論計算技術を適用し,信頼性を向上した事例を紹介する.具体的には,摺動部の接触具合を電気抵抗で定量化する接触電気抵抗法を用いて,運転条件による潤滑変化を実際のガスヒートポンプにて計測し,理論的な計算によって潤滑のメカニズムを明らかにした結果について報告する.
2.供試機
2.1.圧縮機
本研究で対象とするマルチベーン式圧縮機の構造を図1に示す.マルチベーン式圧縮機は,類似のベーン式であるロータリ圧縮機と異なり,シリンダとロータが同軸上に配置されるため,回転に伴う不釣合い荷重が小さく,そのために高速回転が可能である.したがって,小形で高容量かつ振動が少ないことから,自動車用エアコンやGHPに数多く使用されている.
前述したように,マルチベーン式圧縮機はその高速回転のために,ベーン先端部のすべり速度が大きい点が他の圧縮機と比べた特徴である.そのためベーン先端の接触部にいったん潤滑不良が生じると,過度の摩耗を引き起こし,多量の摩耗粉が圧縮機の冷凍機油供給管を閉塞するなど,空調機の性能に重大な影響を与えることになる.
空調機内冷凍サイクルの機器において,圧縮機は高荷重高速の摺動部を持つ唯一の部品であり,圧縮機の信頼性を確保することは空調機の長寿命化に繋がる.故に,このマルチベーン圧縮機においては,ベーン先端部の潤滑を確保することが重要な課題となる.
供試した圧縮機の寸法を図中に示すが,具体的には,この圧縮機の定格容量は,8畳用エアコンの5台分の空調能力に当たる.
2.2.空調システム
圧縮機の潤滑は,その運転条件に大きく影響を受ける.また,圧縮機の運転条件は室内外の温度やお客様のお好みの空調環境により大きく変化し,市場においては多種多様なものになる.
そこで,図2に示すように温度湿度を変更できる環境試験室内にて計測用圧縮機が搭載されたGHPを稼動させることにより,市場の運転条件を再現した.
3.実験解析
3.1.接触電気抵抗法による潤滑計測
表面の粗さ,組織はサブミクロン・ナノの単位で状態が変化しており,摺動する二面間の潤滑状態を定量化することは困難である.そのため,二面間の絶対的距離を計測できる市販計測器は皆無である.また,計測のための摺動面への追加工が潤滑に影響して本来の現象を捕らえられない恐れもある.更に,今回の計測対象とする圧縮機のベーンの厚さは3mm程度しかなく,センサを取り付けることも非常に困難となる.
そこで本研究では,ベーン先端とシリンダ表面間の潤滑状態の計測として図3に示す接触電気抵抗法を用いることにした.この方法は,ベーン先端とシリンダとの接触具合を電気抵抗の変化として検知するものである.そのため,潤滑計測部となるベーン先端とシリンダ表面には加工を一切加えない.しかし,ベーン先端とシリンダ表面間以外は電気的に絶縁する必要があるため,絶縁部分にはセラミック,樹脂などを利用して絶縁処理を施した.
接触電機抵抗法での計測結果に対する評価方法を,図4に示す.ベーン先端とシリンダ表面間の潤滑状態が良好な場合,すなわち両者の間に油膜が十分に形成される場合は,シリンダに印加された電圧は保持され,計測電圧は印加電圧を示す.一方,潤滑状態が悪く油膜形成が不十分な場合は、ベーンとシリンダ間の電気抵抗が0Ωとなる.そのためシリンダに印加された電位はベーンを通じてアースされ,計測電圧は0Vを示すことになる.このように接触電気抵抗法においては,0Vから印加電圧の範囲の計測電圧で両者間の潤滑状態を定量化できる.本研究においては,印加電圧は200mVとした.計測された電圧は印加電圧に対する比を分離度SD(Separation Degree)と定義して百分率にて表し,ベーン先端の油膜形成状態を定量化した.
3.2.サイクル中の分離度変化
ベーン先端のシリンダ表面上での位置を表すロータ角度は,ベーン先端が楕円型シリンダの短径部を通過する際を0°と定義する.ベーン前縁側圧縮室の吸入,圧縮,吐出と一連の圧縮サイクル中の分離度の変化を,図5に示す.図からわかるようにロータ角度90°以降の圧縮行程中期より潤滑状態が悪化することが読み取れる.市場回収機との摩耗状況とも相関が取れ,計測方法の妥当性が判断される.ちなみに,ロータ角度90°はベーン先端が楕円型シリンダの長径部分を通過する位置である.この角度より,ベーン先端はシリンダ表面より押さえ付けられロータ軸に設けられたベーンスロット内(これ以降はスロットと称す)を収納される方向に動く.
3.3.市場運転条件下での潤滑状態
市場での潤滑状態を再現するため,計測用の圧縮機を空調システムであるGHPに搭載し,市場の環境条件を網羅したJIS B 8627で定められる6水準の温度湿度条件と,空調能力を6水準,掛け合わせた36水準の条件にてGHPを稼動させ,ベーン先端部の分離度を計測した.計測結果を,図6に示す.なお,計測結果は,前述したように圧縮行程中期に潤滑が悪化するため,ロータ角度90°から150°における分離度SDの平均値を平均分離度ASD(Average Separation Degree)と定義して,円の直径にASDを比例し図中に示した.市場におけるGHPでは,配管の耐圧を考えた高圧回避制御などの制御ルールにより圧縮機運転条件としては,ロータ回転速度と吸入圧力が大きく変化する.そのため,縦軸に吸入圧力,横軸にロータ回転速度をとった座標系にASDを表した.
図より,ベーン先端部の潤滑状態は,高吸入圧力ならびに低回転速度時に悪化することが確認できる.低回転速度時の潤滑悪化は,ベーン先端部での油のかき込み速度低下によるくさび油膜形成能力の減少が原因になっているものと容易に判断できる.一方,高吸入圧力時においては,吐出圧力が一定の条件下では圧縮比が下がり,各摺動部の負荷荷重が低下されることも推測され,潤滑悪化のメカニズムが容易に推定できない.そこで,本研究においては,ベーン先端の潤滑状態に対する理論計算解析手法を構築し,その潤滑のメカニズムを解析することにした.
4.理論解析
理論解析においては,ベーン先端の油膜厚さを計算することにより,潤滑状態の定量化を実施する.
4.1.力学モデル
ベーン先端部がシリンダ表面へ押し付ける荷重を,ベーン周りの作用力の釣合いより計算する.その際の計算モデルを図7に示す.
y軸方向に関して,ベーンには前後縁の圧縮室内圧力の差圧はベーン前縁側圧力,はベーン後縁側圧力),ならびにスロット内のベーン側面にスロット内入口においては圧縮室内圧力またはが,オイル室側ではオイル圧力が負荷される.圧縮行程中においては,が大きくベーンには図上反時計回りのモーメントが負荷される.これがスロットの抗力とによって支えられる.圧縮行程中ベーンは,モーメントの作用により右上がりに傾きながら右へ平行移動するため,作用部においてはくさび油膜が発生する.ただしここでは,ベーン先端に働く圧縮室内圧力およびによるモーメントは,圧縮室内の差圧によるものと比較して非常に小さいため無視した.
x軸方向に関しては,オイル室圧力,作用部での摩擦力作用部での摩擦力,ベーン先端に負荷される圧縮室内圧力,これらの力の総和がシリンダ表面へのベーン先端部の押付力となる.なお,理論計算は,実験にて潤滑状態が悪化した圧縮行程中期を代表してロータ角度100°において実施した.
4.2.理論計算の高度化
マルチベーン式圧縮機のベーン先端部の潤滑解析に関しては,実験解析にて沼崎らの報告事例1)が唯一あるのみである.電気式ヒートポンプに多用されている同類のロータリ圧縮機のベーン先端に関しては田中2)ら,また,小野3)らが,前項にて示した同等の力学モデルで理論計算解析を実施している.先ずは,彼らの境界条件,入力条件を参考にして計算を実施した.計算された油膜厚さはシリンダならびにベーン先端の表面粗さから求められる合成粗さとの比をとりOFP(Oil film parameter)と定義した.計算結果を図8中青線にて示す.図から分かるように,実験結果は吸入圧力の上昇に対してASDが低下,すなわち油膜厚さが減少しているが,計算結果においては吸入圧力上昇に伴い油膜厚さが増大しており実験結果と逆の傾向を示す.
これまでの計算手法では,作用部であるベーンとスロット間の圧縮サイクル中の潤滑変化が考慮されておらず,摩擦係数を0.1の一定値が与えられている.また,ベーン先端部の冷凍機油粘度に関しても出入口状態の温度,圧力の平均値より算出されており,圧縮サイクル中の雰囲気変化が考慮されていない.そこで本研究では,スロット部での潤滑に関しては混合潤滑理論を用いて部分接触を加味した摩擦力変化を考慮することにし,ベーン先端部の冷凍機油粘度に関しては圧縮中ロータ角度毎に変化する雰囲気温度,圧力によって定まる冷凍機油への冷媒の溶解度も考慮した粘度を算出し理論計算に用いることにした.以上のモデルを加えた結果,図8中紫線ならびに橙線にて示す.理論計算結果は実験結果とよい相関を示すようになり,本研究にて実施したモデルの改善の妥当性が確認できる.
4.3.潤滑メカニズムの解明
前項にて示した理論計算手法を用い,ベーン先端部の油膜形成への吸入圧力の影響について解析を行った.吸入圧力が0.5MPaと1.0MPaの場合における,ロータ角度毎のベーン前縁側圧縮室内圧力の変化を図9に示す.ロータ角度100°におけるベーン前後の圧縮室間差圧は,図中ロータ角度100°の読値と吸入圧力の差となる.
両吸入圧力条件を比較した場合,高圧である1.0MPaにおいては,圧縮行程時の急激な圧力上昇や,吐出圧力よりも圧縮室内圧力が高圧になる過圧縮の影響により,ベーン前後差圧が大きくなる.そのため,ベーン前後の差圧を受け持つスロット部の荷重が大きくなる.一方で,ロータ角度100°においては,ベーンのスロットに対する摺動速度が低速であるため作用部のくさび油膜形成能力が低い.以上のように荷重増大と油膜形成能力の低下が重なり作用部では部分的接触面積が多くなり,摩擦力の増大,これに伴うベーン先端押付力の増加が発生し,ベーン先端部潤滑が劣化することが,理論解析より判明した.
5.おわりに
空調用として広く用いられているマルチベーン式圧縮機のベーン先端潤滑に対して,トライボロジーに関する実験解析技術ならびに計算解析技術を適用することにより,その寿命に大きく寄与を及ぼすベーン先端部の潤滑に関して,以下に示す運転条件に対する潤滑の特徴ならびにそのメカニズムを解明した.また,これらの知見に基づき,圧縮機の適正な運転条件範囲を定めることにより,弊社ガスヒートポンプシステムの更なる寿命向上を達成できた.
- 1)低ロータ回転速度ならびに高吸入圧力の運転状況下において潤滑状態が劣化する.
- 2)低ロータ回転速度条件下に関しては,油のかき込み速度減少によるくさび油膜形成能力の減少により,潤滑が劣化する.
- 3)高吸入圧力条件下に関しては,ベーン前後の圧縮室内圧力の差圧の増加によるベーンとスロット間の潤滑劣化による摩擦力増大によりベーン先端押付力が増加し,ベーン先端部潤滑状態が劣化する.
6.謝辞
本研究をご指導頂きました湘南工科大学 村木教授ならびに共同実験者の福留主席,南さん(ヤンマー)には,この場をお借りして厚く御礼申し上げます.
7.参考文献
- 1)沼崎一志・福田充宏・柳沢 正・小林康博:ベーン形圧縮機におけるベーン先端部の潤滑特性,平成11年度日本冷凍空調学会学術講演会講演論文集 (1999) 153
- 2)田中真二・京極啓史・中原綱光:冷凍・空調用ロータリ圧縮機の潤滑特性,トライボロジスト,41,3 (1994) 247.
- 3)小野京右・是永 敦・吉村多佳雄:ロータリコンプレッサにおける相対運動部品の潤滑特性,日本機械学会第71期通常総会講演会講演論文集 (Ⅳ) (1994) 99.
著者
研究開発ユニット 中央研究所