営農情報
<アグリ・ブレイクスルー>成功する農業者はここを重視している。先進的農業経営者に見られる共通の経営手法
先進的な農業経営を行っている農業者を紹介する先進農業事情のコーナーにおいてこれまで27経営体の執筆を担当した。立地条件、作物、規模などによって経営者の考え方はそれぞれだが、共通点も少なからずあった。同時に、大半の経営者が苦労や挫折を乗り越えてきた。彼らに見られる共通点をたぐり寄せていけば、これからの農業を牽引する農業者にとって大きな道しるべになるはず。そんな思いから共通点を4つに整理してみた。
農業ジャーナリスト
青山 浩子(取材・文)
- Profile
- 1963年愛知県生まれ。1986年京都外国語大学英米語学科卒業。日本交通公社(JTB)勤務を経て、1990年から1年間、韓国延世大学に留学。帰国後、韓国系商社であるハンファジャパン、船井総合研究所に勤務。1999年より、農業関係のジャーナリストとして活動中。1年の半分を農村での取材にあて、奮闘する農家の姿を紹介している。農業関連の月刊誌、新聞などに連載。著書に「強い農業をつくる」「『農』が変える食ビジネス」(日本経済新聞出版社)「農産物のダイレクト販売」(共著、ベネット)などがある。
1.常にマーケットを意識
これまで、先進農業事情に登場した農業経営者すべてに当てはまる共通点がある。常にマーケットを意識した農畜産物をつくっていることだ。消費者に直接販売している経営者はもちろん、JAや卸売市場を介して販売している経営者であっても、“実需者のニーズを把握した生産”を徹底しており、「行き先がわからない農産物はつくらない」という考え方が、農業経営の常識になりつつあることを実感した。
(有)内田農場(熊本県)の内田智也社長の「私たちがめざす米づくりは、日本一おいしい米ではなく、日本一ユーザーからほしがられる米」という言葉が印象に残る。
内田社長は、就農後に始めた営業活動を通じ、焼き肉店は焼き肉と相性の良いかみ応えのあるコメをほしがり、酒造メーカーは自社の追求する酒にあう酒米を求めることを知った。この時の経験をいかし、実需者の意見や用途に合わせ、10品種以上のコメを生産している。「ユーザーの求める米をつくっている限り、米が余ることはない」という言葉に、米市場の需要拡大の可能性すら感じた。
(有)田中農場(鳥取県)の田中正保社長(現在は会長)も、この先の稲作農業の生き残り策として「実需者から求められる農産物をどうつくるかに尽きる」と語る。
100haを超える農地を活用し、コメ(主食用および酒米)以外に豆類、野菜など多様な作物をつくっており、すべての行き先が事前に決まっている。しかも、主要な取引先には田中会長が訪れ、「今年の米はどうでしたか」と相手の意見を聞く。その地道な活動が信頼につながっている。
23haで米麦大豆と野菜の複合経営を行う(有)やまびこ農産(福岡県)の焼山一彦さんは「誰がつくるかによって農産物の品質はもちろん、荷造りの仕方により売れ方が変わり、農家の収入も変わる。これほど差がつくとは思わなかった」と振り返る。直売所を運営する会社の幹部をつとめた経験から出た言葉だ。
その時の経験が自身の経営にいかされ、おいしさと安全性を重視したものづくりの方向性を定めていったという。
農産物のみならず、稲ワラであっても顧客である畜産農家によってニーズは多様だ。
(有)杏里ファーム(福岡県)の椛島一晴さんは、就農当時のイ草生産・加工から、収益性の良い稲ワラの収穫・集荷・販売業に転換。ゼロからのスタートだったが、こまめに営業をすると、「牛の嗜好を熟知する農家から『よく乾いた青々したワラがほしい』『少し泥の、混ざった黒っぽいワラがいい』など多様な注文が来た」と椛島さん。こうした要求に応え、稲と麦のワラで450haを収集販売するほど大規模経営を実現している。
2.目標を持って突き進む
経営者に見られるもう一つの共通点は、明確な目標に向かって突き進む姿だった。
(有)重元園芸(熊本県)の重元茂さんは、就農当時の主力品目だったメロンからキュウリ生産に切り替えるにあたり、周年栽培による年間安定供給を目標に掲げた。キュウリは労働集約型で収穫に手間がかかり、農家ごとの経営面積は限られる。
「まとまった面積で周年供給できれば取引先の信頼を得られるはず」とにらんだ。道のりは険しく、平場と高冷地の両方にほ場を確保してリレー出荷できるようになるまでには、何度も病虫害の被害にあうなど「失敗の連続だった」という。だが15年かけて、1トンのキュウリを1日も欠かさず出荷し、取引先の信頼を得るまでになった。
大規模経営と資源循環を両立させる小澤康広さん(群馬県)の経営スタイルも印象に残った。現在飼育する和牛約200頭に与える粗飼料の大半を自給している。
広大な農地を持つ北海道を除くと、粗飼料の自給は難しい。しかし、20代の頃、研修のために出向いた先で、資源循環型農業による大規模経営を実現している様子を目にし、「身の回りの資源をうまく使いながら牛を育てよう」と決心。仲間と共に収穫機を共同利用し、デントコーンを生産し、サイレージにして牛に与えた。サイロへの積みこむ作業や、べーラーで密閉する作業は想定以上に重労働で、一時は粗飼料づくりの中断を余儀なくされた時期があった。それでもあきらめきれない小澤さんは、バンカーサイロを使わず、トラクターで牽引する細断型ロールべーラーを導入、梱包まで行うという労力軽減策をみつけた。サイレージを与えるようになり牛の増体が良くなり、収益性も向上するなど経営発展につながったという。
(有)アグリクリエイトの斉藤公雄さんは就農当初から「有機農業に科学的知見を問い入れる」ことを目標に掲げた。農業機械や肥料会社などの業界に身を置いていた頃、有機農業の可能性を見い出す一方で、農家が思い思いの方法で有機農業を実践しており、客観的な科学的根拠にもとづいたものでないことを知った。
1989年、仲間2人と同社の前身となる組織を発足させ、生産のみならず、有機および特別栽培農産物の集荷および販売、有機農業を実践する農家への栽培指導に乗り出した。
2011年の東日本大震災の影響で、安全性を重視する消費者が一時的に関東の農産物の購入を回避するなど同社は販売面で苦心を強いられた。しかしその苦戦をバネに、消費者に直接語りかけようと、東京のオフィスビルの屋上を使った農園運営事業に乗り出した。
目標を明確化しておくことは、経営が順調な時はもちろん、リスクに直面した時であっても、課題解決に向かっていく原動力になることを斉藤さんの活動から痛感した。
3.直面した課題から逃げない
アグリクリエイトのみならず、登場した経営者の多くが順当に経営を発展させてきたわけではなく、苦労を味わい、苦戦を経て現在に至っている。
約40haで畑作物をつくる吉岡茂さん(北海道)は、親が病気を煩い、25歳の若さで農場運営を任された。親のやり方を見てきたものの、3、4年は失敗の連続だった。
「周りの農家は収量を上げているのになぜ自分はダメなのか」と落ち込むこともあった。病床から父が助言をしてくれるが、頭でわかっていても体が伴わない。「畑は一人一人違うから、まねしても同じようにできない」。苦しみながらも、失敗した原因を検証し、自分なりの技術を身につけていった。「もしあの頃、失敗を恐れて人から教わった通りやっていたら、今の自分はない」と振り返る吉岡さん。この言葉に共鳴する経営者は少なくないだろう。
(有)金子ファーム(青森県)の金子春雄さんは、1970年に肉牛経営を開始したが、3年後のオイルショックで肉牛価格が暴落し、経営からいったん手を引く。その後、知人に資金を借りて再起した。
現在は1万頭を超える飼育頭数を誇るが、小売店から引き合いがきても、「先方の担当者と十分に信頼を築き、取引を始めるまでに2、3年かける」というように慎重な経営スタイルが特徴的だ。目先の損得ではなく、長期的な視点から生産や販売をとらえる姿勢は、外的要因とはいえ一度廃業した教訓が原点になっているという。
1969年から経営としての大規模農業をめざして、5人の農業者で設立した船方総合農場(山口県)は、1000頭規模の酪農経営をめざしてきたが、堆肥センターのための用地が取得できず、壁に直面した。その後、牧場を消費者に解放したところ、自然豊かな場所に来ることを楽しみにする消費者が多いことに気づき、消費者と密着した農業に方向を転換し、成功を収めた。
多くの経営者が苦労や挫折を経験した。それでも「自分で農業の道を選んだ」という覚悟、そして家族や社員、地域の支えによってひとつずつ壁を乗り越えていった。
4.人を育て、技術を磨く
先進農業事情には大規模経営体が比較的に多い頻度で登場した。多くは、離農していく高齢農家から依頼され、農地集積の受け皿となっている経営体だった。一方、農地集積のスピードがあまりも早く、人材育成や技術向上のスピードをいかに上げていくかを課題としているところが多かった。
400ha規模で稲作経営を行う(株)中甲(愛知県)は、200haを超えたあたりから、移植栽培だけでは適期作業ができなくなり、1989年より直播き栽培を導入した。最初は湛水直播、そして乾田直播へと移行。あわせて社員教育にも力を入れた大面積で効率良く作業するために、同社では社員を「代かき担当」「田植え担当」というように作業によって分けている。専門性が磨かれる利点はあるが、社員は播種から収穫までの一連の稲作を経験できない。
そこで、管理職を除く全社員に10~30aのほ場を提供し、田起こしから収穫まで自己責任で行う「自主学ほ場」を提供している。収支も計算し、経営感覚を身につけてもらっている。これにより、社員のひとつずつの作業がより丁寧になるなど想定外の効果もあったという。
稲作主体で、直売所や飲食店など6次産業化の事業も拡大している(株)六星(石川県)は、組織的な人材育成のプログラムを取り入れ、従業員一人一人に目標を設定してもらい、計画から結果の検証までの一連の流れ(PDCAサイクル)をたどりながら、若い人を育てる工夫をしている。
社員育成にエネルギーを注ぐ経営体が多い理由は、過疎化が進む農村において、いかに農業・農地を守っていくかという強い思いがあるためだろう。どの経営者も「経営にプラスにならないような条件不利地であっても、依頼されれば引き受ける」ときっぱり語っていた。
9戸の専業農家が集まって、米や野菜をつくる農事組合法人新興エコファーム(秋田県)の細川良喜さんが「親たちがつくった田畑を自分たちの世代で荒らすなんてできない。それが私たちの原点」と力強く話す姿はいまでも頭に焼きついている。経営として成り立つ農業と、地域の農地を維持するための農業。一見、相反するように見えるふたつを両立させる挑戦者がいる限り、農業には可能性がある。