刈部 光陽様
- 地域 : 茨城県桜川市
- 掲載年 : 2023年
- 作物・作業 : ねぎ(約1ha)
温暖な気候と清らかな山の水に恵まれた茨城県桜川市は、水稲栽培が盛んな地域である。2021年にねぎ農家として新規就農された刈部光陽さんは、いずれはお父様の辰男さんが経営する水稲も引き継ぎ、大規模な農業経営を目指されている。将来への投資としてねぎの機械化一貫体系を整え、着実な足取りで前進されている光陽さんの経営ビジョンについてうかがった。
幼少期からほ場で汗を流す辰男さんの背中を見て育ち、農繁期には田植えや収穫を手伝っていた光陽さんにとって、農家を継ぐことはごく自然な流れだった。大学卒業後は、「5年間は違う世界を経験したい」と飲食店チェーンの米のバイヤーとして埼玉と東京で勤務。予定通り5年後の2021年に桜川に戻り、ねぎ農家として新規就農された。
いずれは辰男さんが管理する水稲のほ場も引き継ぎ、経営を統合する予定ではあるが、現在は辰男さんとは完全に別経営で、機械への初期投資も運転資金も全て自己資金で賄っている。「仕事場は一緒ですが、親父は親父、自分は自分。これはケジメでもあり、覚悟でもあります。自分の足跡をしっかり確認しておきたいんです」と光陽さん。仕事に責任感を持ち、ご自身の足でほ場を踏みしめる姿を、辰男さんも頼もしく思っておられるのではないだろうか。
別経営ではあるものの人材の配置だけは協力し合い、互いの農繁期には従業員を重点的に配置できる体制を整えている。栽培品目にねぎを選んだのはこのためである。ねぎの農繁期が水稲と重ならず収穫期も長いため、水稲の田植えや収穫が忙しい日にはねぎの収穫を遅らせて手伝いに行くという柔軟な対応ができ、経営を統合した後も、年間を通して安定した雇用と収益を生み出すことにつながる。
光陽さんが就農する前年は秋冬ねぎの価格が高騰。これにより生産者が増え、翌年のねぎの単価は下落してしまった。年間を通して安定した収益を得るには、生産量が減り価格が上がる春から夏にかけての出荷が狙い目になる。「栽培難易度は上がりますが、春夏も出荷することにしました。年間を通して作業をすることになるので、省力化を図るためにはなおのこと機械への投資が必要なんです」と光陽さん。機械については、20年以上の付き合いになるヤンマーの担当者に相談。「担当の黒崎さんはとにかく対応が早いし気配りが細やか。黒崎さんに頼んでおけば問題ない、と絶大な信頼を置いています」。
初年度はトラクターに加え、「管理機は定植前の溝掘りから必要なので、これがないと始まりません」と管理機YK750RK-Kと調製機ベストロボを購入し、0.2haから栽培をスタートされた。翌年3月には全自動ねぎ移植機PW10,Nを導入。4月にはねぎ収穫機HL10,Uの実演機に満足されて導入を決めたことでねぎの機械化一貫体系が整い、ほ場は1haまで拡大した。特に効果を実感されているのが収穫機のHL10,Uである。「作業人数5人で1日100mだった収穫距離が、1.5人で300mになりました。空いた人手は他の仕事に充てられますし、私が収穫をしている間も他のスタッフが調製・出荷をしてくれて収益を生み出すことができるので気持ちが軽いですね」。
移植機PW10,Nについても、「溝にタイヤを落とせば後は手を離しても勝手に仕事をしてくれます。その間に苗を運べますし、作業がひとりでできるので、かなりの省力化になりました」と評価いただいた。「親父が『時間を買え』とよく言うんです。『機械に投資をして時間を生み出さなければいけない』と。今のほ場の規模では少しオーバースペックですが、余力を残した状態で仕事をすることがベスト。これが将来に向けての伸びしろにもなります」。
夏の出荷を目指して機械化一貫体系を整えたものの、昨年は早い時期から暑くなり、夏前には一発肥料が溶けてしまったため、生育が足りず夏の収穫を諦めることになった。光陽さんは「肥料が多いと生理障害を引き起こしやすくなるのでためらってしまいました」と昨年を省みる。幼い頃から手伝っていた水稲であれば、多少のトラブルも想定の範囲内だがねぎは未経験からのスタートなので、試行錯誤しながら解決策を見出しておられる。
今年は、昨年1haにまで拡大したほ場を0.8haに減らし、収量よりも利益率アップに重点を置くと言う。「一発肥料の基本的な体系は変えません。作物に振り回されるのではなく、面積を抑えて自分の力である程度コントロールすることが今年の課題です」と前向きだ。3haまでほ場を拡大することもできるが、まずは「地に足をつけたい」と話す光陽さん。労力と収益のバランスをにらみながら、持続的な経営を目指しておられる。
辰男さんは、奮闘する光陽さんに対してあれこれと口出しはしない。ただ、東京で会社員をしていた頃は、帰省のたびにいつから農業を始めるのかを心待ちにしている様子だったそうだ。「機械の更新時期になると『お前がやらないなら、使い古して終わるぞ』と言うんですが、次の帰省時には新しい機械に入れ替わっているんです」と笑う光陽さん。辰男さんの期待は大きいようだ。光陽さんもまた、農業にやりがいを感じておられる。「タネを播いた時点では、うまく作物が育つのかはわからないし、いい時期に出荷できるかもわからない。賭けのようなところもありますが、自分次第で出せる結果を変えられるところが面白いですね。会社員として仕事をするよりも、魅力があると私は思います」。
今後のビジョンをうかがうと「将来的に親父の水稲も引き継いで経営を統合したら、ねぎの収益で水稲の経費を全て賄って、水稲の売上はほとんど利益として確保できるようにしたいと思っています」と語ってくれた。水稲は50haへ、ねぎは3haへの面積拡大も目指されている。「ただ、面積よりも利益を拡大できるビジネスモデルを考えていきたいと思っています。親父も同じようなことを言っていました。最近になって一理あるなと感じています。拡大志向より向上志向。これは親父との共通認識ですね。現状維持はありません。今年よりも来年もっと良くなるようにと思わないと、維持すらできないので」。
現実を見極め、向上心を持って前進する辰男さんの考えを、経営者の立場になった今改めて実感している光陽さん。親子で同じ方向を見つめながらも、将来の経営統合を目標に、ご自身の夢の実現に向かって一歩ずつ歩んでおられる。
ねぎ栽培の規模拡大に向け、収穫作業時間を短縮。