スペシャル対談企画第8弾 瀬古歩夢 宝田沙織 桜の逸材。チャレンジ論

CHAPTER #3 スペシャル対談 08

アカデミー時代に培った
“技術以外”の部分

そのスケールの大きさは他を圧倒。比類なき才能の持ち主として、早くから将来を期待されていた瀬古歩夢と宝田沙織。ともにセレッソ大阪のアカデミーで育ち、「ベースとなる部分は全部セレッソで教わった」と口をそろえる。当時から常に上の学年と混ざって高いレベルでプレー。その後も成長の歩みを止めずにJ1、なでしこリーグ1部での経験も重ね、海外に活躍の場を移すことは自然な流れだった。現在、瀬古はスイスでプレー、宝田はアメリカでの1シーズン、スウェーデンでの2シーズンを経て、12月8日、イングランドのウィメンズ・スーパーリーグに所属するレスター・シティWFCとの契約合意が発表された。異国の地で得ていることは何か、さらにここから描くキャリアについて。「挑戦」をテーマに、両者が見据える未来を語り合った。(取材日:2023年10月23日)

学年は瀬古選手が一つ下ですが、これまでに接点はありましたか?

瀬古:ボチボチありますよ。

宝田:ホント?(笑)。

瀬古:顔合わせくらいは(笑)。

宝田:少し見たり、会ったりはしましたが、そんなに接点はないです(笑)。

お互いの印象はいかがですか?

宝田:藤原のどか選手と仲が良かったから、「こういう選手がいるんだ」ということは知っていて、「一つ年下なんだ」とビックリしたのが最初の印象です(笑)。

年下には思えなかったですか?

宝田:思えなかったです(笑)。

瀬古選手は、藤原選手と仲が良かったんですね。

瀬古:そうですね。ジュニア(C大阪U-12)のころ、南津守で練習していたので、その時に喋っていました。

両選手ともC大阪のアカデミー出身です。瀬古選手は小4、宝田選手は中1からですが、それぞれ入ったきっかけは?

瀬古:一つ年上に幼馴染で仲が良かった池田昌生選手(現・湘南ベルマーレ)がいて、彼がセレッソのジュニアに入ったことがきっかっけです。「お前も受けてみろ」と言われてセレクションを受けて、受かりました。

宝田:中学入学と同時に地元の富山県を離れてJFAアカデミー堺の1期生として入学したのですが、JFAアカデミー堺はチームではなく、試合がなかったので、平日は堺で練習し、土日はどこかのチームに入る必要がありました。大阪にあるチームを選んで、自然とセレッソに入った感じです。

アカデミーで学んで、いまも生きていることは?

瀬古:いまの僕のプレースタイルも人間性もすべて、セレッソに育ててもらったと思っています。だから、全部セレッソですね(笑)。

宝田:フフフ(笑)。私も中学生からずっとセレッソでやってきたので、ベースとなる部分は全部、セレッソで教わりました。中学生、高校生の時は走りや筋トレがきつかったですが、いまとなれば、そういうこともやっていて良かったと感じています。

それぞれ、学生のころからトップチームにまじってプレーされていますが、ステージが上がった時の思いは?

宝田:中2の時にチャレンジリーグに上がって、大人と戦えることにワクワクしました。最初は結果が出ずに大変だったのですが、そこから(なでしこリーグ)2部や1部に上がって年も重ねたことで、勝てる試合も増えました。大人相手にもやれることが増えたので、すごく楽しかったですね。

瀬古選手も高1でC大阪U-23としてJデビュー、高2でトップチームデビューも果たしています。 そのあたりの経験を振り返ると?

瀬古:J3でしたけど、高校とは違う舞台、体の大きな選手を相手にプレーできたことは、トップチームに上がった時、かなり生きていました。もちろん、J3とJ1ではプレーの質は違いますが、U-23の経験のおかげで、より早くJ1にも馴染むことができたと思います。

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技術の高さをベースに
複数ポジションをこなす

最初のテーマは“ポジション”について。C大阪のアカデミー時代、主にCBとボランチでプレーしていた瀬古に対し、宝田はFWとCBという間逆の位置でプレー。“二刀流”ともいうべきスタイルを器用にこなしていた。技術の高さがベースにあってこそ可能になる、複数ポジション。話を進めていくと、スウェーデンで2シーズン目となった昨季、宝田はボランチをメインにプレーし、瀬古もあくまでCBが第1だが、今季はボランチとしてプレーすることもあるという。宝田は、自身も「未知の世界」と語るポジションだが、ポジティブにチャレンジ。瀬古も自身の幅を広げるため、前向きに取り組んでいる。意外な共通点に、話は膨らんだ。

瀬古選手は、小学生、中学生のころのポジションは?

瀬古:小学生ではCBをやっていましたが、中学に入って、トップ下をやったり、中1の途中からはボランチになりました。中3になって、当時の大畑開監督に「やっぱりCBだな」と言われて、小学生以来のCBに戻りました。

そこからはCB一筋だと思いますが、現在もスイスではCBですか?

瀬古:いや、最近はまたボランチをしています(笑)。昨年から少しずつボランチを始めて、いまはCBと両方やっています。

宝田選手はセレッソ時代、FWとCBでプレーされていましたが、ポジションにこだわりはありましたか?

宝田:特に「ここがいい」というのはなかったので、「使ってもらえるポジションでプレーしよう」という感じでした。

2017年は、なでしこリーグ2部で22得点を記録されました。このままFWとしてプレーし続けていくのかな? と思っていました。

宝田:その年はFWでやっていきたい思いもあったのですが、翌年、チームが1部を戦ったシーズンは、ディフェンスの人数が足りなかったり、後ろが安定しなかったり、というチーム状況もあり、CBに下がりました。この年は、スタートはCBで途中からFW、その逆もありました。

海外での1年目、アメリカ時代のポジションは?

宝田:最初はFWでプレーしていました。ただ、その前の年に、CBでなでしこジャパンに呼ばれるようになって、「後ろの経験も積んだほうがいい」ということを(代表の)スタッフに言われたので、チームでも後ろをやらせてもらっていました。

昨年移籍されたスウェーデンでのポジションは?

宝田:スウェーデンでは、CBの選手として獲ってもらいました。なので、最初は後ろをやっていたのですが、途中からボランチに上がって、いまはほぼボランチです。

レディース時代、ボランチをやっている姿は記憶にありません(笑)。

宝田:そうですね(笑)。セレッソ時代はボランチはやっていないです。FWとCBだけだったので、ボランチは未知の世界というか、新しい感覚でした。

奇しくも現在はボランチでプレーされている選手同士、どういうことを心掛けながらプレーされていますか?

瀬古:状況を見てプレーすることです。自分たちのチームは“前に、前に”行くことが多いので、リスクマネジメントを心掛けています。

後ろでアンカー気味にプレーしている?

瀬古:そうです。基本的にダブルボランチを組むもう一人の選手が前に出るので、僕はバランサーとしてCBの前にいる感じです。

CBとボランチ、どっちをやりたい、という思いは?

瀬古:もちろんCBをやりたいですよ。それは監督にも伝えています。ボランチは監督に提案されて、「求められるのであればプレーします」と答えたのですが、「自分が好きなのはCBなので、CBでプレーしたいです」とも伝えています。ただ、いまはチームにCBが多いという事情もあるので、チームのためにプレーできるなら(ボランチでも)いいかなとは思っています。

ボランチはチャレンジですか?

瀬古:チャレンジという感覚はないですね。もともとやっていたポジションでもありますし、自分のプレーの幅を広げるためには大事な時期だと、ポジティブに捉えています。

日本代表でもアンカーで途中出場する試合もありました。チームで中盤をやっていることが代表に好影響を与える可能性もありそうですね。

瀬古:そうですね。この期間も悪くはないと思っています。

宝田選手は、ボランチは挑戦に近いですか?

宝田:はい。昨年、ボランチで出るとなった時はビックリして、「できるのかな?」という思いでしたが、監督から「自信を持ってやれ」と言ってもらって、試合にも出させてもらったので、「ボランチでもプレーしていこう」という覚悟を持ちました。アメリカでは試合に出られなかった時期も続いたので、出してもらえることは有難いですし、「どのポジションでも自分のプレーを出していこう」という思いでした。

やり始めたころよりは、しっくりプレーできていますか?

宝田:そうですね。正直、ディフェンスより攻撃するのが好きなので、いまのポジションになって攻撃にもかかわることが増えたので楽しいです。ポジティブに捉えています。

攻撃に関わるほうのボランチなんですね。

宝田:はい。(瀬古選手と)逆なので、一緒に組んだら合いそうですね(笑)。

瀬古:確かに(笑)。

GKの経験もある宝田選手としては、真ん中のポジションはすべてプレーしたことになりますね。

宝田:そうですね。真ん中のポジションはコンプリートしました(笑)。

瀬古:すごいですね(笑)。どこでもプレーできることは、本当に器用だと思います。

両者とも足元の技術がしっかりしているからこそ、中盤でもプレーできるのだと思います。技術はアカデミー時代に 教え込まれた?

瀬古:お互いに共通して言えることは、竹花(友也)さんの指導の影響は大きいと思います。

宝田:“止める・蹴る”の練習は、かなりしました。

瀬古選手は、竹花監督の指導を受けたのは小学生のころですよね?

瀬古:はい。楽しくサッカーさせてもらっていましたし、それでサッカーもうまくなって、いまにもつながっています。

宝田選手は、先ほどは「走りのメニューが多かった」という話もありましたが、レディースで技術も磨いたと。

宝田:そうですね。走りと同様、足元の技術を高める練習も大事にしていました。そこで身に付いた部分は多いと思います。

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欧州で積み上げる経験値。
今後目指すリーグは?

両選手とも、生まれ育ったC大阪を離れて海外へ活躍の場を移したのは高校卒業から3年が経った年。早くからアンダー世代のカテゴリーで国際試合を戦っていく中で、その目は自然と海外へ向くようになったという。瀬古はスイスで3シーズン目。試合にもコンスタントに出場している。宝田はアメリカを経てスウェーデンでの2シーズン、惜しくも優勝こそ逃したが、最後まで上位争いを続けた。(取材後の12月8日、イングランドのウィメンズ・スーパーリーグに所属するレスター・シティWFCとの契約合意が発表された)。環境にも慣れてきた中、現在、二人が抱いている思いとは?胸の内を赤裸々に明かした。

欧州でのプレーという共通点に話を移します。まず、海外移籍を意識した時期やきっかけは?

宝田:2018年にU-20W杯で優勝して、その時から、「こういう相手と普段からやっていきたい」という思いが出てきて、少しずつ海外でのプレーを意識し始めました。

瀬古:僕も2019年にU-20W杯に出た経験は大きかったです。その前からアンダー世代で海外に遠征することも多く、欧州の選手とも対戦する機会があったので、その影響も大きかったです。

両選手とも、高校卒業から3シーズンを経て、移籍を実現しています。海外移籍が決まった時の心境は?

瀬古:素直に「ありがとう」という気持ちでしたね(笑)。

宝田:フフフ(笑)。

瀬古:5大リーグではなかったですが、「海外でプレーしたい」と思っていたので、それが叶って「ありがとう」と(笑)。ただ、「ここからが勝負だな」とも思いました。

宝田:私は、最初はアメリカ(アメリカNWSL、ワシントン・スピリット)でした。私も素直にうれしかったですし、プロとしてサッカーをするのが初めてだったので、ワクワクする気持ちでした。

実際にアメリカでプレーして感じたことは?

宝田:やっぱり、行ってみないと分からないので、実際にアメリカでプレーして海外のサッカーを知れたことは大きかったですね。試合にはあまり関われなかったですが、行って良かったと思います。

昨年からはスウェーデン(スウェーデン女子1部リーグ、リンシェーピング)に活躍の場を移します。

宝田:自分から「違うチームに行きたい」と伝えていたので、獲得してくれたチームに感謝する思いでした。

欧州でプレーして感じることは?

瀬古:やっぱり、Jリーグとサッカーは違いますね。まず個々の体の大きさやスピード、フィジカルが違います。サッカーとしては、スペースがあり、カウンターの応酬のような展開が続きます。最初は負荷が違い過ぎて、戸惑いました(苦笑)。「国によって、こんなにサッカーが違うのか」と。新しい国のサッカー文化を知れて良かったと思います。

しっかりつなぐより、縦に速く、個々で戦う局面が多い?

瀬古:そうですね。もちろん、チームやシチュエーションによっても違いますが、まず個人というのが前に出るサッカーかなと思います。

スウェーデンの女子リーグの特長はいかがですか?

宝田:スウェーデンは結構日本に近いところもありますが、スピードやフィジカルは海外っぽいというか、瀬古選手が言ったように、上下や縦に速くて、カウンターにカウンターで返すという展開は多いです。私も最初は「90分間、(体力が)持つのかな?」と感じました(苦笑)。

そうしたリーグでプレーされている中で、伸びていると感じるところは?

瀬古:相手のFWに対して、よりタイトにマークにいくことは意識していますし、フィジカル面は成長していると思っています。

宝田:スウェーデンでボランチをやり始めたのですが、プレーの幅という意味では、2年目で視野も広がっています。守備でも、球際でガツンとぶつかれる場面も増えてきたので、ポジティブに捉えています。

チーム状況も含め、現在の環境については?

宝田:優勝争いしている中で、いまはシーズン終盤ということもあり、勝点を落とせないので、毎試合、ピリピリしています。選手同士でも緊張感はあるので、そうした環境でサッカーができていることは、いい経験になっていると思います。

今季はUEFA女子チャンピオンズリーグにも出場されて、アーセナルと対戦されましたが、この経験は?

宝田:クジ運が良かったのか悪かったのか分からないですが(笑)、初戦からアーセナルとやって、勝ち上がることはできなかったのですが、いい経験になりました。

瀬古選手はスイスで3シーズン目ですが、環境的にはいかがですか?

瀬古:人としての成長はできたと思っています。大人になったというか。

宝田:フフフ(笑)。

コミュニケーション面など、ピッチ外での難しさはありますか?

宝田:自分のチームはピッチ外でも“チームアクティビティー”と言って、月に1回、ご飯に行くなどチームで活動する機会があるので、コミュニケーションは取れています。ピッチ外でも仲がいいので、セレッソみたいに楽しくやれています。大変なことはあまりないですね。

瀬古:僕も選手同士でご飯にも行きますし、特に困っていることはないです。昨年までは日本人選手もいた中で、今年は一人になったのですが、チームメートとのコミュニケーションは取れています。

チーム内での言語は?

瀬古:英語とドイツ語です。もう3年目なので、言っていることは大体、理解できますよ(笑)。あとは話すほうですね。

すっかりチームにも馴染んだことも含め、「大人になった」と感じるわけですね。

瀬古:って、言われたんですよ。昔の自分を知る人に会った時、「大人になったな」と。ただ、それが自分としてはあまり良くないとも感じていて。

どういうことですか?

瀬古:ずっと尖っていたい、というか。

宝田:フフフ(笑)。

瀬古:周りからは「トゲ、なくなったんちゃうか?」とも言われます。サッカーに関しても、環境に慣れが出てきた分、緩さというか、少し尖りがなくなってきている気もして…。

環境を変える時期に来ている可能性もありますね。

瀬古:それは考えますね。

どのリーグでプレーしたい、という思いはありますか?

瀬古:最終的にはイングランドのプレミアリーグでプレーしたいです。それは昔から思っていることです。ただ、プレミアでプレーするためには、もう一段階、踏まないといけないとも感じていますし、いまできることを日々コツコツ積み重ねていくことが大事だと思っています。

プレミアリーグを目指す上で、現在、取り組んでいることは?

瀬古:筋トレの量は増えました。ディフェンスとして当たり負けしないことが前提になるので。欧州ではなおさら、DFは1対1の強さを求められます。

宝田選手は、籾木(結花)選手とチームメートですが、セレッソつながりで言えば浜野まいか選手とスウェーデンで 重なっていた時期もありましたか?

宝田:半年間くらいですね。

現地で会ったりもしたんですか?

宝田:1試合戦って、一度ストックホルムでご飯を食べました。あの小さかったまいかが海外にいることは不思議でしたね(笑)。

宝田選手は中学入学と同時に富山から大阪に出てきたくらいなので、環境への適応は問題なさそうですね。

宝田:そうですね。毎日が楽しいです(笑)。

瀬古:格好いいですね。

宝田:思ってないでしょ?(笑)。

瀬古:いや、たくましいですよ(笑)。

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同年代の活躍が刺激に。
成長誓う二人の「原動力」

対談の締めは、“自身にとってのセレッソ大阪と未来”。「原点」で学んだプレースタイルを軸に、ここから先、どのような目標へ向かって進んでいきたいか。サッカーを続ける上での原動力と合わせて、自身の目指す未来について、本音をぶつけ合った。

今年の12月に30周年を迎えるセレッソ大阪ですが、ご自身にとってセレッソとは?

宝田:原点であり、自分のプレースタイルを作ってくれた、なくてはならないクラブです。

瀬古:家ですね。いまの年齢の半分をセレッソで過ごしていますからね、もう家です(笑)。

宝田:私もレディース時代のチームや仲間は、家族のような存在です。

今後、こういうプレーヤーになっていきたい、という理想像はありますか?

宝田:応援される選手になりたいですね。あとは、女子もイングランドのリーグが強いので、そういう舞台でプレーして、もっと上の選手と戦いたい思いもあります。

瀬古:いま、一番近い目標は2026年のW杯出場です。あと、トミくん(冨安健洋・アーセナル)やコウ(板倉滉・ボルシアMG)など、プレミアやブンデスリーガでプレーしている選手もいる中で、僕もそういったリーグでプレーして、より高いレベルでプレーできる選手になりたいです。

最後に、サッカーを続ける上での原動力について聞かせて下さい。

宝田:海外に来て、海外の相手とサッカーをすることで、「もっとうまくなりたい」という思いが強くなりました。自分よりうまい相手が目の前にいることで、「より成長したい」、「より勝ちたい」という欲が出てきました。そういう気持ちがいまの自分の原動力やモチベーションになっています。

瀬古:同年代の活躍ですね。いい意味で気にしない部分もありますが、アンダー世代から一緒に戦っていたユキナリ(菅原由勢)や(中村)敬斗が日本代表に定着し始めています。そういう姿はうれしいですが、だからこそなおさら、昔から一緒に戦ってきた仲間と、より上のステージでともに戦いたいと思うことがいまの自分の原動力です。

PROFILE
瀬古 歩夢
2000年6月7日生まれ、23歳。大阪府出身。セレッソ大阪U-12→セレッソ大阪U-15→セレッソ大阪U-18→セレッソ大阪→グラスホッパーCZ(スイス)
宝田 沙織
1999年12月27日、23歳。富山県出身。立山ベアーズU-12→F.C ひがしジュニア→セレッソ大阪レディース→セレッソ大阪堺レディース→ワシントン・スピリット(アメリカ)→リンシェーピングFC(スウェーデン)→レスター・シティWFC