チャウワットの
セレッソのトップチームに
戻ることは夢の一つでもあった。
タイ代表MFチャウワット、
再びの日本でさらなる
高みを目指す
きっかけはクラブ同士の提携
自分に声がかかるとは思わなかった
東南アジア地域におけるサッカーの成長は著しい。選手のレベルはもとより、ファン・サポーターも激しく、熱い。JリーグにおいてはMFチャナティップ(北海道コンサドーレ札幌→川崎フロンターレ)、ティーラトン(ヴィッセル神戸→横浜F・マリノス→ブリーラム・ユナイテッド)、ティーラシン(サンフレッチェ広島→清水エスパルス→BGパトゥム・ユナイテッド)といったタイ人選手たちが、確かな足跡を残してきている。
彼らに続こうとするタイ人選手がこの6月、セレッソ大阪に加入した。タイ代表MFチャウワット。「セレッソ大阪、アカデミーの力」。第3回は東南アジアでの育成活動にフォーカスする。4年ぶり2度目の日本で奮闘するチャウワットに話を聞いた。
チャウワット セレッソ大阪
1996年6月23日生まれ。タイ王国チェンマイ出身。ポジションはセントラルMF。身長171cm体重63kg。ブリーラム・ユナイテッドFCユースを経てトップ昇格。バンコク・グラスFC、現・BGパトゥム・ユナイテッドFCとセレッソ大阪との提携により2018年C大阪U-23に加入。U-23ではJ3公式戦14試合に出場した。帰国後はタイリーグでコンスタントに出場。タイ代表5試合出場1得点。
- 最初に、サッカーを始めた理由を教えてください。
- そもそも父がサッカーを大好きで、小さい頃から父とテレビでサッカーを観て面白いなと思っていました。学校に行き始めてからは、学校が終わった後に友達とボールを蹴って、すごく面白くて。父と母から「そんなにサッカーが好きだったら、アカデミーに行ってみる?」と言われて、「行きたい」と言ったのがきっかけです。
- 小さい頃、テレビで見ていたのはどのリーグですか?
- プレミアリーグしか放送されていなかったので、当時はプレミアリーグだけでしたね。中でもアーセナルが一番好きでした。プレースタイルが好きで、応援していました。
- 2017年からバンコク・グラスFC(現・BGパトゥム・ユナイテッドFC)に入り、セレッソ大阪と提携していることがきっかけで、18年にはセレッソ大阪U-23に期限付き移籍されました。この時の思いを振り返ってください。
- 当時はそこまで試合に絡めていなかったので、呼ばれたことがすごく驚きでした。同時に、嬉しかったです。(C大阪のことは)以前から知っていました。僕はブリーラムのアカデミーにいたこともあって、その時に、ACLでセレッソと対戦した試合も見ていました。
- だからすごく嬉しかったですね。当時のタイのサッカーであれば、C大阪U-23チームのほうがレベルも高かったと思います。日本のサッカーを学びたかったですし、もっとうまくなりたい野心もあったので、呼ばれたことは、すごく嬉しかったです。
- 異国の地で、言葉も違います。不安はなかったですか?
- そこまで不安はなかったですね。普通に「ただ行きたい」という気持ちのほうが強かったです。
- 初めて練習参加した時のことは覚えていますか? 技術レベルやチームの雰囲気など、想像と比べて違いましたか?
- U-23の練習に初参加した初日のことはよく覚えています。想像していたのとかなり違いました。ある程度、やっていけると思って来たのですが、まったくついていけず。そういった意味では、想像とは真逆でした。
- 当時の指揮官、大熊裕司監督の練習はかなり厳しかったと思います。
- そうですね(苦笑)、すごく厳しかった。チーム内に英語が喋れる人がいなかったので、そこもつらかったです。想像していた以上に、環境としてはつらかったです(苦笑)
- 斧澤隼輝選手(FCティアモ枚方)が英語でコミュニケーションを取っていた姿を覚えています。
- 彼もそんなに英語が喋れたわけではないのですが、頑張って喋り掛けようとしてくれたことがすごく嬉しかったですし、感謝しています。そこから少しずつ、ほかのチームメイトともコミュニケーションを取っていった感じです。
- シーズンの終盤は喜田陽選手とボランチを組みながら、チームでも重要なプレーをされていたと思うのですが、改めて振り返ると、2018年はご自身にとってどんな1年でしたか?
- いい時もあれば悪い時もありました。すごく印象に残っているのが、ハムストリングのケガをして、10週間ほどチームから離れたことです。理由としては、(言語の問題で)ケガのことを説明できないことやサッカー自体ができないストレスもあって、落ち込む日々が続きました。そんな中、タイに一度戻ることになり、父や家族、友達から励ましの言葉をもらえたことが大きかった。その時期が今でも印象に残っています。
- そういう過程も経て、来る前と比べてセレッソを離れる時は、成長した実感もありましたか?
- はい、それはすごくありました。来て良かったな、と。すごく上達できたと思っています。
- 技術的なことですか? 体の強さなどフィジカルも?
- 全体的にうまくなった実感はありました。ピッチ内でのメンタルも強くなったと思います。
C大阪U-23の関係者のおかげで
僕はこうやってうまくなれた
日本行きを選択したのは「レベルアップしたいから」。2018年の1年の経験は、言葉の問題や負傷もあって100%満足した結果ではなかったかもしれない。しかし、日本での経験によりチャウワットは明らかに成長した。
そのことは帰国後パトゥム・ユナイテッドFCでレギュラーの座をつかみ、タイ代表にも選出されたことが物語る。
- タイに戻ってからは、BGパトゥムユナイテッドでリーグ優勝も経験、ACLでも活躍されました。タイへ戻ってからの数年間は、どういった期間でしたか?
- すごくいい時期を過ごせました。試合にも毎試合絡めていましたし、先発に入ることもできていたので。一度はリーグ優勝の経験もできたので、すごく良かったと思っています。
- タイ代表にも選ばれてゴールもされていますが、代表選出は夢の一つでしたか?
- サッカー選手であれば、代表は誰もが夢見る場所だと思います。当然、僕もタイ代表に選ばれることは夢でした。強化試合とは言え1試合目から点を取れたので、とても嬉しく思っています。
- 代表はC大阪U-23に来た頃からの目標でしたか?
- はい。当時から目標にしていました。
- 日本で経験を積んで代表に選出されたことは、当時のU-23の監督やコーチ、サポーターもすごく喜んでいると思います。
- そうですね(笑)。監督や、当時関わってくれていたスタッフ全員にお礼を言いたいですし、彼らのおかげで僕がこうやってうまくなれたこともよく分かっています。彼らには本当に感謝しかないです。ファンの皆様にも、いつも応援してくださったことに感謝しかないです。
- 一回りも二回りも大きくなって、今度はトップチームに戻ってきました。やはり前回とは気持ちは違いますか?
- セレッソのトップチームに戻ることは、僕の夢の一つでもあったので、再び日本でプレーすることが決まった時は、すごく嬉しかったです。僕としたら、すごく早くその夢が実現できたなと思っています。
- 代表やタイでもうあと2、3年ほど経験を積んで、また日本でプレーできる機会が訪れたらいいなと考えていたので。そういった意味では、この機会をいただいたことが本当にすごく嬉しいです。もっともっとうまくなりたいですし、もっとうまくなるために努力も惜しまないつもりです。全力で頑張っていきたいと思っています。
- 今度はJ1という舞台です。どういったプレーを見せたいですか?
- 自分がどういったプレーを見せられるか、見せたいか、というのはまだ分からないですが、できるだけ早くチームに順応して、チームに貢献できるように頑張りたいと思っています。試合に出るからには、チームが勝てるように全力で頑張ります。
- ボランチは、奧埜(博亮)選手や原川(力)選手、鈴木(徳真)選手がいる競争が激しいポジションです。この環境でプレーを続ければ、より成長できるという手応えもありますか?
- 当然、彼らは見ているだけでうまい選手だと分かるので、一緒に練習することで自分もよりレベルアップできると思いますし、その実感はすでにあります。彼らはすごくレベルの高い選手たちなので、見て盗めるところもあります。そういったところでも、一緒に練習できることは、自分のレベルアップにつながると思っています。
- 舩木(翔)選手や山田(寛人)選手といったU-23チームで一緒にプレーした選手との再会は嬉しかったですか?
- すごく嬉しかったです(笑)。彼らとは仲もいいですし、こうやってみんなでトップチームでプレーできることがすごく嬉しいです。
タイの子どもたちの夢の一つは
日本でプレーすること
タイ出身のMFは再び日本で切磋琢磨することを選んだ。同ポジションには多くのライバルがいる。しかし自身の変わらざる思いがあるからこそ、さらなる上を目指して異国の地で努力を重ねる。
最後に、彼を突き動かすモチベーションと、将来像を聞いた。
- チャウワット選手がサッカーをする上でモチベーションになっていること、原動力は何でしょうか?
- モチベーションが何かと言うと、僕の場合は「単純にサッカーが大好きだから」ということです。それが、サッカーを続けている原動力だと思います。やっぱり自分が好きなものに対してなら、いくらでも情熱を注ぎ込めますし、そういう気持ちがないと、上達できないと思っています。原動力が何かと聞かれたら「サッカーが大好きだから頑張れる」ということに尽きますね。
- 小さい頃、初めてサッカーをやった時と変わらない気持ちがずっとあるんですね。
- はい、同じですね。
- 未来のことも伺います。近い将来でも、遠い将来でも、自分がどういうサッカー選手になりたいか、どういう選手像を描いているか、目標やビジョンはありますか?
- 最終的な目標は、ただ純粋に、できるだけプレーヤーとしてのレベルを上げて、なるべくレベルの高いところを維持してサッカー人生を終えたいと思っています。やっぱり人間なので、調子が出なかったり、波はあると思うんですけど、高いレベルをずっと維持したまま、サッカーを終えられたらなと思っています。
- タイの人たちも、チャウワット選手のJリーグでのプレーを楽しみにされていると思います。
- タイで応援してくださっている方々のためにも、頑張りたいですね。これまで、チャナティップ選手、ティーラトン選手、ティーラシン選手を始め、日本で功績を残している選手たちのおかげで、今、タイの子どもたちは日本でプレーすることが夢の一つになっています。そういった夢を持つ子どもたちためにも恥じないプレーをして、自分もそういうことに貢献できたらなと思っています。
セレッソ大阪、アカデミーの力
未来への
「世界に通用する選手の育成」を掲げたセレッソ大阪アカデミー。
セレッソ大阪から世界へ。
「未来に美しい花をたくさん咲かせたい」、
そんな未来への原動力に迫る。