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林穂之香・宝田沙織のengine

林穂之香・宝田沙織のengine

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どんな逆境も乗り越えたい。さらなる飛躍のために決めた海外への挑戦。 どんな逆境も乗り越えたい。さらなる飛躍のために決めた海外への挑戦。
Profile

林穂之香(写真:左)
1998年生まれ。京都府出身。ポジションはMF。2021年シーズンより10年間在籍したセレッソ大阪堺レディースからスウェーデン女子1部リーグ、AIKフットボールへ移籍。小柄ながら優れた戦術眼と正確無比なボールタッチで、クラブでも中核を担う。

宝田沙織(写真:右)
1999年生まれ。富山県出身。ポジションはDF、MF、FW。2021年シーズンにアメリカNWSL、ワシントン・スピリットに移籍。2022年シーズンからはスウェーデン女子1部リーグのリンシェピングに移籍する。類まれな身体能力と多彩なポジションをこなせる器用さを武器に活躍が期待されている。

※この取材は2021年12月に実施しました。

言葉もプレースタイルも
違う異国の地で、
自分と向き合い続けた
1年目シーズン。

2020年12月。二人の若きなでしこがセレッソ大阪堺レディースから世界へ羽ばたいた。スウェーデン1部リーグで存在感を示し、サッカーIQに優れる若き司令塔、林穂之香。女子サッカー王国アメリカで、DFからFWまでマルチポジションこなしながら成長を続ける宝田沙織。約10年間慣れ親しんだ大阪の地を離れ、世界への挑戦を決意した2人。海外での最初のシーズンを終え、今何を思うのだろうか。
Q:お二人が海外挑戦を決意された背景には、どんな思いがあったのでしょうか?
林:私は、子どもの頃から日本代表になりたいと思ってはいましたが、海外リーグでプレーするという選択肢は考えたこともありませんでした。しかし、代表で海外の選手と対峙する場面が増えてきたこともあり、 2年くらい前から体格差のある海外選手にどうやったら勝てるのか、徐々に考えるようになりました。その中でベストな選択肢は、自ら海外に行って強くて速いサッカーに揉まれることだと思い、挑戦を決意しました。

宝田:2018年にアンダー世代のW杯で優勝を経験してから、この高いレベルでもっと勝ちたいと思うようになりました。ずっとチャンスがあれば挑戦したいと思っていて、今回機会をいただけたので、オファーを受けた形です。アメリカでプレーするのはサッカーの違い以前に言語の壁がありますし、もちろん不安もありました。それでも、海外に行かないとわからないこともたくさんあると思ったので、挑戦することに決めました。
Q:海外リーグで初のシーズンを経験して、ご自身の中にはどんな変化がありましたか?
林:スウェーデンでは大柄な選手も多く、日本では体感できなかったようなフィジカルの差があるので、とにかくポジショニングや判断の速さで勝負することにこだわりました。1年やってみて、海外でコンスタントに結果を出す上では、言語もプレースタイルも違う中で、柔軟に対応しながらも自分の譲れない武器を出していくことが大切だと思っています。私の場合は、常にスピーディーな状況判断が必要なサッカーの中で、持ち味の1つである戦術理解の高さをどう出していくか。とにかく考えることだけは誰にも負けないようにプレーしています。

宝田:チームのスタイルに自分の強みをどう重ねていくか、どうやったらスタメンに入れるのか、とにかく悩んだ1年でした。環境が大きく変わったこともあり、日本にいたときより、自分のどの持ち味を研ぎ澄ませて、どこをチームに合わせるのかたくさん考えるようになりました。アメリカのサッカースタイルは日本とは違いロングパスやカウンターも多いですが、だからこそプレー予測を速くしたり、細かいパスの精度で差を出していきたいと思っています。

チーム全体で苦しさを乗り越え、
分かち合うことが喜び。(林選手)

強い相手に挑戦し、乗り越える楽しさが、
自分を支える原動力。(宝田選手)

新天地で言語やフィジカルの壁を感じながらも、自らを奮い立たせて戦い続ける二人。さらなる高みを目指して、逆境をも恐れない彼女たちを突き動かす原動力になっているのは、一体どんな思いなのだろうか。
Q:セレッソ大阪堺レディース在籍時は、2部降格とそこから1年での昇格を経験されました。当時、モチベーションとしていたことや自分を奮い立たせていたのはどんな思いでしたか?
林:降格したシーズンはキャプテンでもありましたし、勝てない試合が続いて、本当に苦しくて悔しいシーズンでした。もうあんな経験を二度としたくないし、周りの人にさせたくないという一心で、2部で戦っていました。あのときの私を支えていた原動力は、一言で言えば「チーム愛」ですね。子どもの頃から大人になるまで育ててもらったクラブで、苦楽を共にしたチームメイトやサポーターと一緒に勝ちたいという強い思いがプレーにも出ていたように思います。

宝田:2部で戦った1年間は、2部で成長して1部で負けた相手を、昇格した際は圧倒することを目標にプレーしていました。高い目標ほどチャレンジして、乗り越えるのが楽しいですし、それは子どもの頃からずっと変わりません。セレッソ大阪堺レディースは育成型のチームなので、中学生のときから大人相手にたくさん試合をして、最初は負けてばかりでした。常に強い相手に向上心を持って挑み続けられたからこそ、今の私があると思っていますし、目標に挑む楽しさが私を支える原動力になっていると思います。
Q:改めて、お二人はなぜサッカーを続けるのですか?サッカーのどんなところに魅せられているのでしょうか?
林:サッカーで一番楽しいのは、やはりチームで勝利を分かち合う瞬間です。当然仲良く楽しくやっているだけでは勝てないし、その状態で勝っても嬉しさはそれほど大きくないと思います。勝ったときに心から嬉しさを感じるのは、それまで自分たちが努力したり、苦しいことを乗り越えて頑張ってきた時間を分かち合えるから。自分だけでなくチームメイトや周りの人の努力も報われる勝利の瞬間を、みんなで分かちあう喜び。それが、私がサッカーを続ける一番の原動力になっていると思います。

宝田:私は、強い相手や難しい状況にチャレンジすることが好きなんだと思います。中学生のときに地元富山を離れてセレッソ大阪堺レディースに来て、大人チームに何度も挑んで、GKからFWまでほぼ全てのポジションを経験して。今年からは通訳をつけずに海外に挑戦しています。何か新しいことに挑戦することは、自分の世界を広げてくれるんです。トライした結果が成功だろうと失敗だろうと、最後は必ず自分の糧になると信じているので、これからもっと難しいことに挑んでいけたらと思います。

今度は自分たちが
憧れられる存在になって
女子サッカーを盛り上げたい。

プロチームで構成されるWEリーグが設立され、国内でもますます注目度が高まる女子サッカー。日本代表(なでしこジャパン)にも呼ばれ、若くしてその未来を背負う2人に、今後の意気込みや日本女子サッカー界への思いを尋ねた。
Q:海外挑戦2シーズン目への意気込みや、今後の目標を教えてください。
林:1シーズン目は、言葉を覚えたり、プレーに順応したり、チームメイトと距離を縮めたり、新しい環境に慣れるための1年だったと思います。2年目は、その中でもっと自分の特徴を出してチームを勝たせる存在になっていきたいです。

宝田:まずはレギュラーを勝ち取って、コンスタントに結果を残すことが目標です。どのポジションでも対応できるのが自分の武器ですし、チームから求められたらどこでも試合に出て貢献していきたいと思っています。いちプレイヤーとしては、チャンピオンズリーグで戦ってみたい気持ちはあります。ここからステップアップしていって、世界最高峰の舞台で活躍したいですね。
Q:世界で戦う中で、改めて日本女子サッカーにどんなインパクトを残していきたいですか?
林:私たちは子どもの頃、なでしこジャパンのW杯優勝を見てサッカー選手として生きることや、世界で戦うことに憧れました。同じように、今度は私たちの活躍を見ているサッカー少女たちがいるので、憧れられる存在になりたいですし、なっていかないといけないと思います。海外でプレーしている私たちが大活躍することで、普段女子サッカーを見ない方や同年代の方にも勇気を与えられる存在になって、もっと女子サッカーを盛り上げていきたいです。

宝田:自分が22歳で海外にチャレンジしている姿を見て、少しでも勇気づけられる人がいたら嬉しいですね。初めてのことには必ず不安がありますが、うまくいくか、いかないかなんて、やってみないとわからないと思うんです。これまでポジションのコンバートや、通訳なしでの海外移籍など、初めてのこともたくさん経験しましたが、全部勇気を出して挑戦したからこそ実現できたと思っています。これからもどんどん新しいことにチャレンジして、女子サッカー自体のイメージも変える存在になっていきたいです。
海外で、プレー面でも精神面でも成長を遂げる2人の若きなでしこ。それぞれの原動力を胸に、異国の地でさらなる挑戦を続ける彼女たちの名が、世界にとどろく日は近い。