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森島寛晃のengine

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このクラブで優勝したい。もっともっと応援してもらいたい。
Profile
森島寛晃
1972年生まれ。1991年にヤンマーディーゼルサッカー部にプロ契約で入団。同チームが母体となってJリーグに参入したセレッソ大阪でプレーし2008年に現役を引退。日本代表選手としては1998年、2002年ワールドカップ出場。2002年の日韓ワールドカップではセレッソ大阪のホームである長居スタジアムで開催されたチュニジア戦で得点を決めベスト16進出に貢献。引退後はアンバサダーや強化部を経て、2018年12月より株式会社セレッソ大阪代表取締役社長に就任。現役時代から「ミスターセレッソ」「モリシ」の愛称でサポーターから親しまれている。

※この取材は2月9日にオンラインで行いました

セレッソ一筋、他のチームに
移籍したいと思ったことはない。

セレッソ大阪の背番号8は森島寛晃から始まった。香川真司、清武弘嗣、柿谷曜一朗と歴代の中心選手にエースナンバーとして受け継がれている背番号は、ヤンマーディーゼルサッカー部時代に入団してから引退するまで、人々を魅了し続けた森島社長のプレーと人柄によって特別な番号になった。ファンを驚かせたのは、2018年の株式会社セレッソ大阪の社長就任。Jリーグにおいて1つのクラブで選手として入団し、引退後もクラブに関わり続けて社長になった例は他にない。そんな森島社長のセレッソ大阪に対する想いと、活動を続ける原動力に迫った。
Q:入団当初はどのような想いでスタートされたのでしょうか?
当時プロ化を目指していた社会人チームのヤンマーディーゼルサッカー部から契約オファーがあり、プロ選手として契約しました。アマチュア契約も選べましたが、選手として挑戦したい気持ちがありプロを選びました。ただし今思えば、あの頃は日々の生活などを含めて、まだプロとしての意識はできていなかったと思います。93年にJリーグが開幕して、その素晴らしい舞台を見て、そこで自分もプレーをしたいという思いが一段と強くなりましたね。その年の12月には大阪サッカークラブ株式会社(旧社名)ができてチーム名も「セレッソ大阪」になり、Jリーグに参入するという目標が定まって、改めて自分のプロ意識が芽生えたという印象がすごくあります。

振り返れば、プロ選手として結果を出せたのはヤンマー時代の監督だったネルソン吉村さんの影響が大きいと思います。チャンスメイクだけで終わっている姿勢を見て、自分で決め切る大切さを言われ続けたおかげで、自分に足りなかった大事な部分が身についたと思います。それが94年のJFL優勝、95年のJリーグ入りに繋がりましたし、日本代表に選ばれるチャンスをいただけたのも、「ゴールに向かっていく姿勢」を本当の意味で教えられたからですね。ヤンマー時代に、サッカー選手として非常に大切なことを学ばせていただくなかでプロの舞台へ進んでいけたと思います。
Q:セレッソ大阪一筋の現役生活の中で、移籍などを考えたことはなかったのですか?
移籍したいと思ったことはないですね。優勝しかけたりJ2に降格したりと様々なことがありましたが、このクラブで優勝してどんどん強くなって、もっともっとセレッソ大阪を多くの人に知ってもらいたい、応援してもらいたいと思っていました。本当にクラブのメンバーやチームの雰囲気が良くて、ここで優勝したいという想いが強かったですし、J2に降格したときも落としたのは自分ですから、このままでは終われない、もう一度自分がしっかり結果を出してJ1の舞台に戻ってくるという想いでした。
ただ、香川真司選手がセレッソからドルトムントに移籍したときに、ドイツで彼のデビュー戦を観戦して、「自分もここでやりたいな」という気持ちにはなりました。私はもう引退していたんですが(笑)。同じチームにいた彼が海外で活躍する姿をみて、そのとき初めて自分にもそういう感情が生まれたことを覚えています。そのときに彼からプレゼントされたユニフォームは今も大切に持っていますよ。
Q:現役を終えた後はアンバサダーやクラブスタッフ、社長と経験されてきていましたが、心境の変化はありますか?
やっぱりこのクラブで優勝したいですし、もっとセレッソ大阪を多くの人たちに応援してもらいたいという想いは、自分が変わらずに持ち続けているものだと思います。 もちろん今は社長というポジションになりましたので、やり方は違います。昔はプレーヤーとして結果を出してチームを勝たせるという視点でしたが、今はチームだけではなく、クラブスタッフも含めて本当にみんなの力を1つにして、優勝という同じ方向に向かっていかなければいけないと思っています。
セレッソ大阪には想いを持ってクラブを支えてきたスタッフが非常に多いので、もっと自分がしっかりして方向性を示して、皆さんの力を借りていかなければいけないですね。
森島社長の優勝にかける想いは立場が変わってもぶれない。その愚直な姿は、現役時代に労を惜しまずにピッチを走り続けた姿と重なる。

勝者のメンタリティを持った
ファミリーであるために。

セレッソ大阪の歴史に深く関わっている森島社長。セレッソ大阪らしさをどうとらえて、これからのクラブにどんな未来像を描いているのだろうか。
Q:森島社長が思うセレッソ大阪のアイデンティティを教えてください。
私が入団した当初から変わらないなと思うのは、ファミリー感というか、非常にオープンでいろんな選手が外から来ても非常に溶け込みやすくて、常に一体感がある点ですね。サポーターとの距離感も近いですし、みんながオープンで一体感が生まれやすい雰囲気がセレッソ大阪らしさだと思います。
ただ、ファミリーと言いながらも、「仲良し」だけでは当然勝てません。一つ間違えると「生ぬるい」となってしまいますし、勝負へのこだわりや粘り強さを出さないとやっぱり勝てないですからね。
自分自身は果たせませんでしたが、2017年にカップ戦優勝を経験している選手を見ていると、自信をつけてさらに上を目指す意識が強くなるのを感じました。ファミリー感というクラブが大切にしている空気感と勝負に対するこだわりを融合させて、さらによりよいクラブにしていきたいと思います。
Q:サッカーは世界中で人気があるスポーツですが、世界からみたとき、セレッソ大阪がどんなクラブでありたいと思いますか?
クラブとして「大阪のシンボルとしてアジアそして世界に咲き誇るクラブになる」というビジョンを掲げています。
まずは観るとワクワクする試合、観ている人たちの心を動かせる試合をすることで、多くの皆さまに応援していただける大阪のシンボルになりたいですね。観ている人の心を動かせるのは、やはり選手がピッチで輝くことです。そのためにも結果にこだわり、チーム内での競争を高めて、成長できる環境を作っていきたいと思います。
世界という観点では、常にACLそして世界に行けるようなクラブでありたいです。そのためには、一人ひとりが常に高い意識をもってチャレンジしていく必要があります。
香川選手や乾選手、南野選手のように、セレッソから世界に挑戦し活躍する選手がいることで、今在籍している選手が「自分ももっと上を目指して頑張ろう」と思ってくれるはずです。ですから彼らのように海外からクラブを引っ張っていってくれる選手をどんどん出していきたいと思っています。そうすることでクラブに良い循環が生まれますし、海外にも自然とセレッソの魅力が伝わるのではないかと。
セレッソ大阪に関わり続けてきた森島社長だからこそ見えている、強みと足りない部分。サポーターからもっと愛されるクラブになるために、強みを生かしながら足りない部分をどう補うのか。プレーヤー時代とは異なる、森島社長の戦いの姿が見えてきた。
優勝争いをしてタイトルを
取るというところを、
何が何でもやりたい。
最後に森島社長の原動力、そして今後の意気込みを伺った。
Q:「セレッソ大阪の森島」の原動力を改めて教えてください。
そもそも私は、経営に関わるとは思ってもいませんでした。社長就任のお話しをいただき、いろんな方に相談するなかで、みなさんそれぞれからクラブに対する愛情を感じ、想いが変わっていきました。自分自身もクラブをより良くしたいという想いは同じでしたので、必要とされていることを精一杯やってみようと。それからやっぱりセレッソ大阪の一員であること、このエンブレムを付けているという誇りがありました。常にその誇りをもって新しい歴史を作っていきたい。そんな想いで社長になることを決めました。繰り返しになりますが、私の原動力は「みんなでタイトルを獲りたい、もっとよいクラブにしたい」という想い以外ありません。2017年に初めてタイトルを獲ったとき、選手やスタッフが本当にいい表情をしていて、タイトルは何にも変えがたいものだと思いました。あの気持ちをまたみんなで味わえるように、セレッソ大阪が毎シーズン優勝争いをするようなクラブにするために、決断を下したり方向性を示したりしていくことが自分の役割と思っています。
Q:これから社長として挑戦していきたことと、今後の意気込みを教えてください。
6月には新しいヨドコウ桜スタジアムでのオープニングマッチが予定されています。非常に臨場感のあるスタジアムでサポーターやお客様の声もしっかり選手に届きます。スタジアムでのプレーとおもてなしに期待してください。皆さんが何度もスタジアムに足を運びたくなるようなワクワクできるプレーで得点を重ね、勝利して、タイトルを獲り、ユニフォームに星を増やしたいと思います。
それと試合を観に来てくれたお客様に、試合以外の楽しみも提供出来たらなと思っています。クラブスタッフがいろいろと考えてくれていますが、私自身ももっとチャレンジしている感を出さないといけないので、1つか2つは案を出したいですね。プレーヤーとしては攻撃的な選手だったんですが、アイデアの方が守備的なのでなかなか難しいんですが(笑)。もちろん試合で皆様の心を動かすのが前提ですが、セレッソ大阪の試合を観に行ったら、他にも何か楽しみがあるみたいなものを作っていきたいです。こちらも是非楽しみにしていただけたらと思います。
かつて、「モリシのために」と愛された選手は、社長として「セレッソファミリーのために」ピッチ外を駆け回っている。得点という結果を出すことにこだわってきた森島社長が、重圧をはねのけてタイトルを獲る日を共にしたい。ミスターセレッソ森島寛晃の新たな挑戦は始まったばかりだ。