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坂元達裕のengine

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挑戦するしか道はないという想い。壁を乗り越える苦しみを楽しむ心。
Profile
背番号17、ポジションはMF。前橋育英高校で選手権準優勝を経て、2019年にJ2のモンテディオ山形でプロデビュー。その才能が目に留まると、2年目の今季はセレッソ大阪に完全移籍。独特のリズムを持つドリブルを武器に守備陣を翻弄し、他チームのサポーターからも一躍注目を集めている。
※この取材は5月25日にオンラインで行いました

「一番下からはい上がっていく」、

下克上のメンタリティ。
2020年開幕戦。セレッソ大阪のホーム、ヤンマースタジアム長居のスタジアムDJがスターティングメンバーを告げる。そこに背番号17、MF坂元達裕の名前があった。水沼宏太(現横浜Fマリノス)の抜けたポジションを誰が果たすのか注目されていた。後半25分、坂元選手は魅力のひとつであるドリブルから鋭いシュートも披露し勝利に貢献。続くルヴァンカップ松本山雅戦でも、右サイドでDFを引きつけ起点になるなど、得点にからむ活躍を見せた。セレッソ大阪の激しいポジション争いのなかでプロ2年目の真価を問われている。
Q:今シーズンはJ1での戦いです。まず、意気込みを教えてください。
これまで「挑戦する」「チャレンジする」ということを言い続けてきました。大学生時代にJ2のモンテディオ山形からチャンスをもらったときも、自分の本来のポジションであるフォワードやサイドハーフのポジションは埋まっているけど、サイドバックでなら練習参加できると聞き、「どこでもやります!挑戦したいんで行かせてください」と伝えました。サイドバックは全くやったことがなかったんですけど、クロスを入れたり速いボールを心掛けたり、とにかくがむしゃらにアピールしました。サイドバックとしてそれが正解だったかは分かりませんが、結果的に認められてプロ契約を頂けました。ギリギリでプロとして獲ってもらったのでどんなときも「次はない!挑戦するしかない!」「一番下からあがっていこう」と自分に言い続けています。J1での戦いもその気持ちは同じで、毎試合「次はない」と思ってスタメンを勝ち取りたいと思っています。
Q:いつでも「自分は一番下」だと思い臨んでいると伺いましたが、J1で勝負するためには何が必要でしょうか?
小さいころからドリブルが大好きでドリブルばっかりやってたので、クロスやスルーパスといったプレーは苦手だったんですけど、スタメンで出続けるためにそれらのレベルを上げることを意識しています。でも自分に足りない部分を磨くだけじゃなくて、1つ上のレベルにいくためには自分の長所であるドリブルをさらに磨くこともやっていかなきゃいけないと思っていますね。ドリブルでJ1のどんな相手もかわせる選手になりたいと思っています。
坂元選手のドリブルにわくわくする人は、セレッソ大阪サポーターのみならず、サッカーファンのなかにも確実に増えている。しかし、順調に見える道のりにはサッカーをやめていたかも知れないという、まさに崖っぷちの経験があった。
関東選抜に選ばれなかったら、
就職しようと思っていた。
坂元選手が「自分は一番下から」と意識するのには理由がある。前橋育英高校では選手権準優勝を果たすが、3年生のインターハイまではレギュラーではなかった。進学した東洋大学でもスカウトの目にとまるような選手ではなく、獲得オファーは全くなかったという。
Q:大学時代に自分のターニングポイントになったと思う出来事はありますか?
プロになりたいと思っていましたが、自分にはオファーがなくて、3年生まで関東選抜にも選ばれなくて、ずっと焦っていました。4年生の時は、選ばれなかったら就職しようと思っていました。
さらにプロになれるかどうかが決まる4年生の時期にケガをしたんです。すぐに復帰は出来たんですが、なかなかスタメンに戻れなくて。プロになれるかどうかの本当に大事な時期で、どうしよう・・・やばいぞ・・・と、とにかく焦りしかなかったですね。
思い悩んだ末、なぜ使ってもらえないのかを監督に聞きに行きました。そうしたら監督は「焦るのはわかるがお前がプレッシャーを感じずに万全な状態で試合に戻ってきてほしい」と言ってくれました。それまではとにかく焦りから「自分が出て試合を決める、決めなきゃ」という思いでやってたんですけど、その言葉を聞いて自分で自分にプレッシャーをかけていたことに気づいたんです。それからは、チームに貢献するためにプレーすると切り替えて、そこから少し上手くいくようになったと思います。その後復帰した試合で点を取ることもできましたし。
振り返るとこれまで追い込まれて悩んで上手くいかないときって、いつも誰かのさりげない励ましの言葉で、はっと気づかされることが多かったですね。
Q:悩んで出口が見えないようなとき、どんな気持ちで乗り越えたのですか?
悩んで考え込んでいるときは確かに辛かったんですが、過去の経験から自分で考えてその壁を乗り越えた喜びがめちゃくちゃ大きいことを知ってるんです。今まで何回も挫折を経験しているんで(笑)。もちろん今が上手くいっているから言えることかもしれないですが、今はむしろ上手くいかないときほど楽しい、ぐらいに思えています。
Q:いつ頃からそんなに前向きになれたんですか?
サッカーでは中学生の時に初めて挫折を味わったんですが、技術面だけでなく昔はとにかくメンタルも弱くて、試合でも緊張で空回りしていたので自分の性格をどうにかしなきゃいけないなとずっと思っていました。メンタル面に関しては誰かに教わったというよりも自分が様々な経験をして少しずつ強くなっていったんだと思います。大学でチームを引っ張る立場を経験したことも良かったと思います。
誰でもミスはあります。ミスを恐れていたら結果は出ないと思い、とにかく楽しんでやるように変わっていきました。「今は乗り越える途中だ」って思えたら楽しくできるじゃないですか。楽しむ心を持つことで結果は本当に変わってきますし、プレーも180度変わると思っています。
かつての挫折や迷いを克服した経験は人を強くする。謙虚な姿勢を持ち続けている坂元選手は、自分を成長させてくれる人との出会いやチームのなかで任された役割が人を成長させることも知っている。セレッソという環境で日本トップクラスの選手や新たな指導者と出会い、またひとつ成長をみせることが楽しみでならない。この先、サッカー選手として目標としている「場所」はどこなのだろうか?
セレッソで毎試合点を取る。
そして日本代表にならなきゃ
いけない。
自他共に「プレーに独特のリズムも持っている」と認める坂元選手。ディフェンスがそのリズムに翻弄され、切り返しについていけず、あっという間に抜き去られるシーンがスタジアムを沸かせる。しかしながら、世代別でも日本代表に選ばれた経験はまだない。日本代表は坂元選手にとってどんな場所なのだろうか。
Q:日本代表についての思いを聞かせてください。
香川選手や乾選手など日本代表選手をずっと見て育っていますし憧れでした。サッカーをやっている子どもは皆そうだと思いますが、小さい頃から漠然と日本代表になりたいなとは思っていたんですけど、自分のレベルでは「距離」があり過ぎると感じていました。ただ、昨シーズンはプロとして1年を通して試合で結果を残すことができて、今年からはJ1の舞台でプレーできるようになりました。ここまで来たらやっぱり上を目指さなきゃいけないと思います。代表に選ばれることが最終的な目標というよりは、「代表にならなきゃいけない」という気持ちです。
Q:そのためにセレッソ大阪での目標は?
毎試合チームに貢献できるプレーで結果を残してセレッソを引っ張っていく選手になることです。とにかく毎試合、点を取りたいです。セレッソの選手のレベルは本当にトップレベルの選手ばかりなので、1つひとつのプレーが全部自分の勉強になります。どんどん取り込んで行きたいなと思います。
Q:挑戦する人に向けてメッセージをお願いします。
挑戦を続けるなかでは上手くいかないときがあります。失敗したら落ち込むのは分かるんですけど、落ち込んで気持ちがどんどん下がってしまうことが一番駄目だと思います。自分も試合で良くなかったところをどう改善できるかを考えたら、次の試合はとにかく明るいイメージ、いいイメージを持って試合に臨むようにしています。自分自身は大きな目標を作ってそれに向かっていくというよりも、目の前の試合でとにかく結果を残そうという思いで取り組んでいます。そういう次の壁を1つずつ地道に乗り越えていく思いが大切なんだと思っています。
セレッソ大阪のリーグ優勝に貢献できる選手になりたいという坂元選手。その先に日本代表として日の丸を着けてプレーすることを見据えている。得意のドリブルでディフェンダーをあっさり抜き去りゴールを突き刺す、そんなサポーターの心を奪うプレーを日本代表で見せてくれる日が待ち遠しい。